骨董品の世界を舞台にした地獄めぐり 映画『餓鬼が笑う』クリエイターズ対談
#映画 #インタビュー
あまりにも贋作が多すぎて、騙されても気づけない
――竹中直人監督の『無能の人』(91年)でも愛石オークションの様子が描かれていましたが、競りに集まってくる人たちも味わい深い。
大江戸 変わった屋号の人たちが多いんです。「はてな」さんとか「のんき」さんとか。やる気あるのかと思うような屋号ですけど、骨董品業界に入ったばかりだった頃の僕の目には、力強く生きている人たちに感じられました。「あっ、生きてんなぁ、こいつら」と思った。彼らにすごく刺激を受けて、僕も生き直したという体験があります。
――サラリーマンとはまったく異なる人種ですね。
大江戸 完全なる離脱者たちです。かっこよく言えば、無縁者たち。いろんな事情があって、骨董品業界に入ってきた。映画界もそうでしょう? 幅広い、いろんな人たちがいる。
平波 自分もメインストリートは歩いていないなという自覚はありますね(笑)。「映画監督はみんなキチガイ」みたいなことも、よく言われます。好きなことを仕事にしたわけですが、でもそれが生業になったことで、好き勝手なだけでは済まない部分も生じます。最低限の社会性は持ってないとダメなところはあります。
大江戸 映画監督もコンプライアンスを守らなくちゃいけない時代に、今はなったんだね。
――「騙されるほうが悪い」という台詞が劇中にありますが、贋作がはびこる世界でもあるようですね。1980年代には三越本店で開かれた「古代ペルシア秘宝展」の展示物がほとんど偽物だった事件があり、2000年代にも中部電力の元会長が5億8000万円で中国の古美術商から購入した美術品類に贋作も含まれていた事件が発覚しています。マスコミに報じられたのは氷山の一角じゃないんですか?
大江戸 贋作があまりにも多すぎる。偽物であることすら、気づけないケースが多いんです。お金に直結する世界なので、鑑定のノウハウは親兄弟でも教えることがない。映画づくりなら映画学校で学べるけど、骨董品の見方は自分で学んでいくしかない。目利きのできる人が客と交わす会話の中に真実が潜んでいて、そういうやりとりから盗み取っていく世界なんです。マニアックな業界話になるけど、中国ではスーパーコピーと呼ばれる完成度の高い偽物が陶器でも絵画でも作られています。しかも年々、その精度がレベルアップしているので、骨董屋は中国まで出掛けて、最新の贋作に触れることで本物との違いを確認するようになってきているんです。
平波 大江戸さんの話を聞いていると、スーパーコピーとか知らないほうが幸せなんじゃないかと思えてきますね。それが本物だと思えれば、受け取った人は幸せじゃないのかなと僕は思ってしまう。映画もそう。ある人にとっては人生において掛け替えのない映画であっても、別の人にとっては不必要なものかもしれない。映画監督もそうです。いま撮ったカットはOKなのか、それともNGなのか。ワンカットごとに真贋を見極めなくちゃいけない。目の前にあるものは、本物か偽物かという判断は、ずっと付いて回るものでしょうね。
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