チェッカーズのデビューから解散まで~そのブレイクに最も割を食ったジャニーズ・シブがき隊
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下降線をたどるシブがき隊の救世主だった「スシ食いねェ!」
メンバーの確執で、解散危機もチラついたシブがき隊。そんな危機的状況の最中、起死回生のヒット曲が生まれる。86年リリース「スシ食いねェ!」だ。結果、4作ぶりに売り上げは10万枚を突破し、『NHK紅白歌合戦』出場にもつながった。
今でもバラエティ番組やワイドショーにお寿司が出てくると、必ずこの曲が流れるのがすごい。『水曜日のダウンタウン』(TBS系)でも「スシ食いねェ!」はおなじみだ。バレンタインシーズンになると流れだす、国生さゆりの「バレンタイン・キッス」みたいなものか?
前述した通り、シブがき隊はシングルの売り上げが目に見えて下降気味に。そんな時期の救世主のような曲が、この「スシ食いねェ!」だったのだ。とはいえ、同曲のオリコンの最高位は10位である。それどころか、『ベストテン』では12位止まりだった。つまり10位以内、ベストテンに入ることさえできなかったのだ。
実は、この曲の歌詞は布川が作ったそう。
「ヤックンが手の骨を折ってしまって、コンサートに出れなかったわけですよ。で、モックンとのコンサートだとMCがもたなくて。それで、困って前の晩に作ったんです。『明日にMCの穴埋めでやろう』と。ちょうど、Run-D.M.C.のラップが出てきて、『これ(ラップ)は音程も取らなくていいな』と。『じゃあ、ラップの曲書いてくれ。歌詞は俺が書く』って言って。で、ホテルのルームサービスで寿司を頼んでいたわけです。それらのネタを歌詞に入れて、『へい、らっしゃい!』でいいかな……と、お寿司の歌ができました」(布川)
まさか、布川が作詞していたとは驚きだ。ということは、印税も布川の元に入っているのだろうか? さらに、曲制作の経緯も驚きだった。Run-D.M.C.からの「スシ食いねェ!」。というか、この曲がラップだという事実に筆者は今回、初めて気付いた。ジャニーズらしからぬ攻めた路線だし、この方向性を継承したのが現在の関ジャニ∞という気もする。
鶴久は、仲の良かった本木がこの曲についてどう思っていたか、裏話を明かしてくれた。
「『スシ食いねェ!』の発売が決まったときに、モックンが泣きながら来て『これ、俺ら歌うんですよ』って涙目になってて。『スシですよ、スシ。ネタを歌うんですよ』って崩れてました(苦笑)」(鶴久)
泣くほど「スシ食いねェ!」が嫌だったモックン。ジャニーズらしからぬ曲とは思っていたが、やはり本木は嫌々歌っていたのか。なにしろ、同時期に少年隊は「仮面舞踏会」という超絶カッコいい名曲で世を席巻していたのだから。少年隊とシブがき隊を比較し、「随分、差をつけられたな……」と自らを悲観してもおかしくない。今や完全に大物俳優である本木雅弘の涙目を想像すると、たまらなく面白いのだが。
「(本木が嫌がっていたと)今、初めて聞いた! 俺は、別に俺が作ったんだから嬉しいですよ。『俺って天才かな?』っていうね(笑)」(布川)
天才である。本木がそこまで悲嘆に暮れていた「スシ食いねェ!」は、今やシブがき隊の代表曲だ。いまだ、あれを上回る寿司ソングに出会ったことがない。何が当たるかわからないものである。B面曲だった「てんとう虫のサンバ」が大ヒットした、チェリッシュみたいなものだろうか?
一方、チェッカーズも転換期を迎えていた。86年に入ると、12thシングル「NANA」をリリース。実は、音楽番組『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)がスタートし、その初回放送のトップバッターを務めたのは、「NANA」を歌うチェッカーズだったのだ。
今振り返ると、記念すべきパフォーマンスだった。まず、この曲は「作詞:藤井郁弥 作曲:藤井尚之」という布陣である。シングルで初めてメンバーが作詞作曲を担当した曲だった(それまでのシングルは、主に「作曲:芹澤廣明 作詞:売野雅勇」のコンビが手掛けていた)。
しかも「NANA」は、歌詞に「濡れてくれ」「やろうぜ」といった性行為を思わせる箇所があり、NHKで放送禁止になったいわく付きの曲でもある。つまり、チェッカーズが“脱アイドル”を図った記念すべき楽曲なのだ。余談だが、この頃の『Mステ』の司会はタモリではなく、関口宏と中原理恵のダブル司会。関口&中原時代の『Mステ』である。
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