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愛子さまの首元で光るネックレスと“特別な男性”の正体

渡辺徹さんと榊原郁恵、おしどり夫婦の2度の“不倫騒動

 渡辺徹という俳優を私は好きだった。若いのに難しい病気を抱え、大変だなと思っていたが、61歳の若さで亡くなってしまった。

 妻は榊原郁恵(63)。夫の死後、息子たちと明るく振舞っていたのが、彼女の哀しみの深さを示しているように思った。

 笑顔のいい男だった。彼を見ていると、家庭生活でもいい夫なんだろうと思えてきた。万年青年だと思っていたのに……。

 父親は流しのアコーディオン弾きで、三軒長屋に住んでいたという。貧しかったがサッカーや吹奏楽に打ち込み、生徒会長も務める優秀な学生だったという。

 榊原郁恵のファンだったそうだ。高校卒業後、彼が選んだのは「演劇界の東大」といわれる文学座だった。

 入って1年で、ドラマ『太陽にほえろ!』の刑事、ラガー役に抜擢される。高校の時には体重が90キロぐらいあったが、朝晩走り込み、30キロも落としたそうだ。

 俳優と並行して歌手デビューも果たし、アイドル並みの人気者になった。

 榊原と出会ったのも、歌番組だった。2年後に交際を始め、3年の交際期間を経て1987年10月14日に、高輪プリンスホテルで「3億円挙式」が行われ、披露宴が生中継され、視聴率は40.1%だったというから、その人気ぶりがわかろうというものである。

 長男が生まれ、世田谷の一等地に推定3億5000万円の豪邸を建てた。次男も誕生すると、同じ世田谷に推定4億円の豪邸を建てる。

「貧しい長屋暮らしだった徹は“家”への思い入れが強い。結婚した時、郁恵に『俺はこれから三回家を建てる』と宣言したほどです。二件目は地下にシアタールームもあり、『べらぼうにカネをかけた』と言っていました」(事務所関係者)

 郁恵一筋と思われていたが、渡辺も男。1993年、当時27歳のモデルに約300日間に及ぶ愛人生活を暴露されてしまうのだ。

「セックスの間じゅう、“オレのこと好きか? 好きか?”と何度もいいました」(女性セブン4/8日号)

 渡辺は会見を開き、しどろもどろになりながら「不倫」を否定した。郁恵は沈黙を貫いた。 

 郁恵の知人は、

「これまで些細な夫婦喧嘩は絶えないと公言してきていますが、さすがに『あの時は大変だった』と振り返っていました。感情を溜め込まず、爆発させるタイプなので」

 翌年の正月、郁恵は報道陣に、不倫の慰謝料をこう話している。

「あの一件でベンツを買ってもらった」

 だが、2004年、2回目の不倫が、やはり女性セブン(9/16日号)に出る。大阪の番組に出るため前乗りして高級ホテルに泊まっている時、マルシア似の美女と密会していたと報じられたのだ。

 このときは、郁恵も直撃取材に笑って答える余裕が出てきたという。

 だがそんな渡辺の身体を病魔が蝕んでいった。結婚当時、体重130キロ、テレビの収録ではロケ弁を3つ平らげ、1日6食が当たり前だったというから、身体にいいわけはない。

 酒も飲む。牛飲馬食に夜更かし。そんな夫を、郁恵は細心の注意を払って、栄養にも気をつけていたという。

 だが、彼女の目の届かないところでは、ご飯にマヨネーズをかけてドカ食い。ダイエットとリバウンドの繰り返しだった。

 30歳の時に急性糖尿病を発症。2012年には心筋梗塞で、6時間に及ぶ大手術を受けている。

 翌年には急性膵炎で緊急入院。糖尿病が悪化し、密に人工透析も始めた。昨年4月には、大動脈弁狭窄症の手術も受けていた。まさに病気のデパート。

 他の事務所からの誘いを断り、文学座に居続けた。文学座代表の角野卓造がこう話す。

「これからしっかりとした大人の役が、徹の渋い芝居が、見られそうだと思っていたのに……」

 微熱が出て、11月20日、細菌性胃腸炎で入院するが、それからわずか10日足らず。渡辺の命を奪ったのは敗血症だった。

 11月28日、家族に見守られて渡辺徹は逝った。家族葬が行われた12月5日、榊原郁恵は、涙目になりながらも明るくこう語った。

「(棺には)まず山盛りのごはん。『お父さん、もう制限ないから』って」

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