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日刊サイゾー トップ  > 秋篠宮さま、埋めがたき親子の“距離”

秋篠宮さまは、小室圭さんが合格しても…埋めがたき親子の“距離”

W杯、日本代表の“名将”森保一監督の不撓不屈の半生

 さて、カタールのサッカーW杯は、驚きの連続だといっていいだろう。強豪ドイツを破って、一気に決勝リーグへ行くと思っていたのに、順位の下のコスタリカに敗れ、意気消沈。

 超が付く強敵スペインには歯が立たないだろうと、その前に出たスポニチの一面は、森保の次の監督は外国人監督だと、デカデカ。

 しかし、まさかのスペインに逆転勝ち。微妙な判定はあったが、ベスト16に駒を進めた。

 正直いって、森保一監督(54)というのは見栄えのいい監督ではない。はたで見ていると、「大丈夫なのかい」と思わせる頼りなさがある。

 文春によると、森保がサッカーを始めたのは小学5年生の時だという。中学は隣町の中学の部活に参加したが、スパイクを隠されるなどの「いじめ」にあったそうだ。

 心の折れかけた森保を、父親たちが地元の中学に掛け合い、サッカー部の創設に漕ぎつけたそうである。

 当初は、中学の校庭が使えなかったので、近くの駐車場を練習場所にした。砂利だらけのピッチ。それが森保の原点だそうだ。

 長崎日大高校に進む。試合で仲間がラフプレイを受けると、相手にとびかかっていく熱血漢だったというが、ケガをして一時不登校にもなったというのだ。

 父親が学校を辞めさせようという寸前まで行ったが、森保は学校に戻ってきた。

 彼の妻は、高校の同級生で、陸上選手としてインターハイにも出場した美少女だそうだ。

 高校サッカー部の監督が、マツダSC監督の今西和男に、将来ものになりそうな子がいると年賀状に書き、今西がコーチだったハンス・オフトと長崎に来る。

 特別に秀でた選手ではなかったが、人の目をしっかり見て話を聞いたそうだ。だが、このときのマツダの採用枠は5人で、森保は6番目だった。

 今西の機転で、彼は子会社のマツダ運輸へ補欠で採用されたという。

 だが発奮した森保は、日本リーグの欧州遠征のメンバーに選ばれるまでになった。

 そして1993年、オフトが日本代表監督になり、代表メンバーに選ばれたが、森保を襲ったのが「ドーハの悲劇」だった。

 森保は、あれ以上の悲しい思いをすることはないと思えば、すべてをポジティブにとらえられるといっているそうだ。

 どん底を見た監督が、日本がなし得なかった「ベスト8入り」、その先の優勝まで見据えている。頼りなさそうに見えた森保が、頼もしく見えてきた。

 文春によれば、長友をはじめ、代表の既婚者は、タレントあり、モデルありと美人ぞろいだそうだ。羨ましいが、それだけの実力を世界の舞台で見せてくれているのだから、お幸せにというしかない。

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