北条時房は『鎌倉殿』同様に容姿端麗でコミュ力抜群? 兄・義時への対抗心も…
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時房は兄・義時を超えようとしていた?
しかし、こうした活躍のあった時房が、頼家や実朝の“遊び相手”以上の立場を得たわけでもないというのが興味深いところです。建保2年(1214年)、『吾妻鏡』四月二十七日条には、時房はかなり高い官位である「三位」につけてもらえるよう、実朝に内々におねだりしたものの、適当にはぐらかされたという記録が出てきます。ドラマであまり政治的手腕を発揮する場面がないのも、そうした時房の立場を反映したものかもしれません。
ちなみに当時、時房の官位は「従五位下」でした。義時でさえ「正五位下」だったので、時房が「三位」をいきなり所望する背景には、「義時を出し抜きたい」という気持ちがあったと見ることもできそうです。
義時は「(異母)兄を超えたい」という時房の野心に気づいてはいたのでしょうが、それを利用する形で、ということなのでしょうか、時房のことをあくまで「使い勝手のよい(異母)弟」として見ていたようです。時房もそれを承知で使われ続け、そこに自分の存在意義を見出すようになった……史実ではそういう兄弟関係だったのかもしれませんね。
そんな時房が、名実ともに幕府内で重職中の重職といえるポジションを得られたのは、義時の死後です。時房は義時の跡を継いで執権になるべきなのは自分ではないかと考えており、義時が後継者に指名していた泰時との間には諍いもあったようですが、一説に政子や大江広元が、時房に副執権ともいうべき「連署(れんしょ)」の地位を与えたことで、彼の中で妥協が成立したようです。しかし、外見や性格の良さに加え、さまざまな能力値がすべて高いわりには、政治家としてなにか際立った特質があるわけではない時房は、どこか器用貧乏といわれるだけで終わってしまった感はあります。
源氏の血筋の阿野時元には厳しく、身内である阿波局には甘かった北条家
時房の話が長くなってしまいましたが、阿野時元にも触れておきましょう。ドラマにも以前からちょくちょく登場していた時元ですが(森優作さん)、頼朝の弟・阿野全成(新納慎也さん)と阿波局(ドラマでは宮澤エマさん演じる「実衣」)の間に生まれた源氏の嫡流の男子という、実に恵まれた血統の人物でありながら、父・全成が謀反人として処刑されたことが影響したのか、あまり幕府では厚遇されず、目立たない存在に甘んじていたようです。
次回の『鎌倉殿』第46回「将軍になった女」では、実朝の死によって鎌倉殿が空位となった幕府において、頼朝未亡人の政子が「尼御台」から「尼将軍」として君臨しはじめる姿が描かれるようですが、史実において彼女の「将軍」としての冷徹な采配ぶりがうかがえるのが、“謀反人”阿野時元の討伐戦でした。
第45回には、以前から鎌倉殿就任の目は「ない」と周囲から断言されつづけた時元が、母の実衣から「必ず鎌倉殿にしてみせます。この母に任せておきなさい」と宣言されるシーンがありました。
実際、そういうことがあったかどうかは不明ですが、建保7年(1219年)2月11日、実朝暗殺を知った阿野時元が、自領の駿河国阿野荘(現在の静岡県沼津市)において挙兵したという記録が『吾妻鏡』に出てきます。時元は、朝廷から「関東を管領するべし(=関東地方をお前の支配下に置け)」……つまり、鎌倉殿になれと命じられたとまではいわないものの、それを匂わせるような発言をして挙兵の仲間を集め、山中に砦を構えたのだそうです。なぜ時元がこんな衝動的な計画を発動させてしまったのかは謎というしかありません。この先も子々孫々、幕府の「日陰者」として生きるつらさに耐えかねたのでしょうか。
鎌倉に時元謀反の報せを伝える「飛脚」が入ったのは15日で、政子の寝室に鳥が舞い込んだので、「不吉だ」と話されていた直後でした。この報せを受けた政子は、「尼将軍」として「阿野冠者(=時元)」の「誅戮」を義時らに命じました。
義時が派遣した金窪行親らが阿野荘に到着した22日、時元率いる反乱軍はあっという間に鎮圧されました。『吾妻鏡』の記述には時元について「阿野(時元が)自殺」とあり、武家の棟梁である鎌倉殿を目指して挙兵したのに、彼の戦いぶりは「防禦失利(=防御がよろしくなかった)」と書かれているだけ。時元の「自殺」によって謀反は即終了という簡素すぎる『吾妻鏡』の記述は、圧倒的勝者に抗った弱者の末路の悲惨さを伝えている気がします。
『吾妻鏡』の記述では、ドラマにおける実衣のように、時元挙兵に母親の阿波局が関与したかについてはよくわかりません。また、政子とは実の姉妹である阿波局が、どういう経緯で命だけは取られず、伊豆の山中に隠遁することになったかについても詳細はありません。ただ、幕府において絶対的な「勝者」となった北条家は、源氏の血筋の阿野時元には厳しく、身内である阿波局には甘かった……という結末だけが『吾妻鏡』からはうかがえるのでした。
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