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日刊サイゾー トップ > カルチャー > 映画  > 新海誠監督の恋愛観とフェチズム

『すずめの戸締まり』で新海誠監督の恋愛観とフェチズムはどう変わったか?

椅子に座るシーンは「絶対必要なので押し通した」

 新海誠監督は、かなりのフェチズムを描く作家でもある。『君の名は。』では「キスのようなドキドキ」を「口噛み酒」という人によってはギョッとしてしまうモチーフを用いて描いたし、比較的フェチズムが控えめと言われている今回の『すずめの戸締まり』でも「成人男性が椅子になって年下の女の子に座られたり踏まれたりする」という「これこそ新海誠だ」なフェチなシーンがあった。

 そんな新海誠監督の「らしさ」は良くも悪くも気持ち悪いと言われてしまうのだが、面白いのは先にも取り上げた週プレNEWSのインタビューで、『君の名は。』で「体が入れ替わるたびに胸を揉むシーンは今だったらボツにします」と言っている一方、『すずめの戸締まり』の椅子に座るシーンは「スタッフ陣から反対されても絶対必要だと思ったので押し通しました」と語っていることだ。

 つまりは、新海誠監督も周りの反応や世相を顧みて、わずか6年前でもよくないことへの線引きをするようにはなっている。それでも、やはり恋愛に発展するようなフェチズム(ではないと本人は言い張っているが)的描写は、やはり反対されても打ち出したいと考えているのだ。

 それこそ、前述した「結局は恋愛を描く」ことにも関係する、新海誠監督のバランス感覚なのだろう。時にはスタッフの反対意見もちゃんと聞くし、世間からのネガティブな反応も次に生かす。実際に、新海誠監督は『天気の子』の主人公のエゴイスティックな行いに共感できないという声を聞いたからこそ、今回の『すずめの戸締まり』の鈴芽の、そちらとは違う言葉に「わかる」と共感してほしいという願いを込めているのだ。

 それでいて、憧れの人に触れたいという普遍的な気持ちを、椅子になって座られたり踏まれたりすることに置き換えるフェチズム……いや、自分の恋愛に関する作家性を押し通す姿勢も、支持したいのだ。

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