“ミスターストイック”村田兆治さんの死と晩年、元チームメートたちの話
#週刊誌スクープ大賞
“ミスターストイック”村田兆治の死と晩年
さて、ロッテの村田兆治という投手が焼死したのは、私達の年代にはショックだった。
選手時代、いくら輝かしい成績を残しても、40歳で引退しているから、それから32年、心に何かしら鬱屈しているものを抱えていたのではないか。
新潮が報じているように、死に方を見ていると、自殺かもしれないと思えてくるのである。
11月11日の午前3時すぎ、世田谷区成城にある村田の家の2階から火の手が上がった。近所に住んでいる女性が、
「しばらく経って村田さんが担架に乗せられて出てきました。その後、お腹を出して心臓マッサージをしていましたが」
と語っている。
外にいた男性も、
「警察の方から、村田さんのお顔を確認するように頼まれましたが、ぜんぜんきれいな顔で、ただ寝ているだけのように見えました」
といっている。
この家には村田が一人で住んでいたようで、妻らしき人も、親類らしい人も周辺にはいなかったのだろう。
新潮によれば、火災現場には不審な点が多く確認されているという。
「火元がない2階で出火し、村田さんは隣室で床に座った状態で発見され、警察は端から不振がっていました。一酸化中毒死でしたが、出火時、眠っていれば遺体はベッドで見つかるし、逃げれば床に倒れているもの。だから遺書はなくても自殺を疑っていたのです。すると、火元のリビングから少量の油が検出された。自分で灯油かなにかをまき、火をつけた可能性が高いようです」(警察関係者)
妻の淑子は10数年前に「自治会をぬけたい」と近所にいって、それから家にはいなくなったという。近所の話では、関西の実家で、両親の面倒を見ているというが、70過ぎた亭主を放っておいて別居というのは、穏やかではない。
某週刊誌に以前、村田があまりに意固地なので、妻は家を出て別居しているという話が出ていた。
どちらにしても、男女の子どもは結婚して独立し、広い家の中で一人暮らしというのは、精神衛生上いいものではなかろう。
そこに、9月23日の事件が起こった。羽田空港で女性保安検査員に対する暴行容疑で、逮捕されてしまったのである。
村田にすれば、急いでいるのだから融通してくれてもという気持ちだったかもしれないが、年寄りとはいっても頑丈で長身の村田に、女性検査員は恐怖を覚えたのかもしれない。
このことは、村田にとってショック以上の何かを与えてしまったのではないか。
選手時代は一切の妥協を自分に許さない、ミスターストイックだった。そのやり方は現役を離れ、コーチになっても変えることはなかった。
そんな厳しさと、自説を曲げない頑固さが、監督になりたいという村田の夢が実現しなかった理由の一つであろう。
元ロッテの得津高宏(75)はこんな話をしている。
「福岡ダイエーホークスのピッチングコーチ時代(95~97年)の兆治は、バッティングピッチャーを務めるときも全力で剛速球を投げ、打者を困らせたという話です。兆治はそんなときでも、打者に合わせて緩いボールを投げられない人間。離島の子供たちに野球を教えるのを生きがいにしていましたが、子供の指導も同じスタンスで、技量に合わせて緩いボールを投げてあげられない。手が抜けない一生懸命さが兆治のよい面でもありますが、周りが見えなくなる面もありました」
王監督のもとでダイエーのコーチをやっていたとき、「王監督とぶつかって、コップの水をかけられたこともあったとか」(張本勲)
こんな頑固の上にもう一つ頑固な人間が監督になったら、選手は悲鳴を上げて逃げ出すだろう。
タバコを吸っていたためか、心筋梗塞の発作を2度起こしているという。
村田の生き方は、家庭内でも変わらなかった。
「10年くらい前から奥さんと一緒に住んでいないと聞きました。家庭内ではワンマンで、かなりの頑固親父。家のことは一切顧みずに奥さん任せだったようで、奥さんが呆れて出て行ったという話を聞きました」(ある先輩)
元ロッテの有藤通世(75)もこう語る。
「空港のトラブルが尾を引いている気がしますね。特に村田は、ああいうのを気にするタイプ。すごいショックだったと思うし、自分のことをすごく責めていたんじゃないかと想像します。金田さんが生きていてくれたら、なんらかの言葉をかけてくれていたかな、と思ってしまいます」
村田の座右の銘は「人生先発完投」だったという。完投間近で、自分の人生に終止符を打ったのだとしたら、心中、どんな思いがよぎったのだろう。
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