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今週の『金曜ロードショー』を楽しむための基礎知識㉟

映画版の『あな番』過剰演技にわざとらしい伏線… 不可解演出だらけ!

映画版の『あな番』過剰演技にわざとらしい伏線… 不可解演出だらけ!の画像1
金曜ロードショー『あなたの番です 劇場版』日本テレビ 公式サイトより

 今週の金曜ロードショーは2019年にテレビ放送され、先の展開を巡ってSNSで話題沸騰したドラマの映画版『あなたの番です 劇場版』を放送します。

 テレビ版は新婚である翔太(田中圭)と奈菜(原田知世)の手塚夫妻がマンションに入居、奈菜が住民会に参加したところ住民同士で殺したい人間の名前を書く「交換殺人ゲーム」がはじまり、その夜、管理人が死ぬ。それをきっかけに次々と殺人が起きる。手塚夫妻は推理を働かせ、真犯人にたどり着く……という話。

 劇場版では住民会に参加したのが、奈菜ではなく翔太になったことで、交換殺人ゲームを持ち掛けられても「知人同士の間では交換殺人は成立しませんよ」と口にしたことで「交換殺人ゲーム」は起きなかった……という展開。テレビ版と違う「パラレルワールド」という設定になっている。

 これはテレビ版の時点で多くの登場人物に固定のファンがついてしまっているため、同じキャストの物語をもう一度見たい、というファンのために既存のキャストで別の物語を展開しようとしたら登場人物を生き返らせるか、別の次元の世界にするしかない。なので物語の肝である「交換殺人ゲーム」は起きなかった、という設定にしているのは、中々上手い。が、上手いと思えるのはここまでである。

 それから2年後、手塚夫妻は住民会で仲良くなった彼らを招いて、豪華客船の船上で結婚記念パーティを開催。色々なトラブルを交えながらも無事、パーティは終了。ところがその日の夜に参加者のひとりが死体で発見される。

 警察による捜査がはじまるが、濃霧が発生し船は立ち往生。以後は警察の応援も来ない状態となり海の上の密室と化した船内で次々と犠牲者が増えていく。警察はまるで役に立たないので翔太は愛する妻、奈菜に犠牲の刃が及ぶ前に真犯人を見つけ出そうとする。

 前述したように劇場版はテレビ版から既存のキャストを引き継ぎつつ、別の物語になっている。テレビと映画で二度楽しめるはずが、登場人物の設定も引き継いでしまったため、テレビ版を見ていない一見の観客が置いてけぼりにされてしまうのはマイナスでは。

 物語の主人公は新婚夫婦の手塚夫妻なのだが、劇場版ではミステリアスな雰囲気を醸している怪しげな大学生・黒島沙和(西野七瀬)と彼女と交際している大学院生・二階堂忍(横浜流星)が物語の中心になっている。手塚夫妻(というか夫の翔太)は「事件を外から見ている」設定の探偵役で、事件に巻き込まれるわけではなく、自分たちで巻き込まれて行っている。

 妻が犯人に狙われていることが匂わされているならともかく、「僕の愛する奈菜ちゃんが犯人に傷つけられるかもしれない!」と翔太はひとりで暴走し、奈菜から「探偵ごっこはやめて」と諭されても、聞く耳持たずでクルーズ船の乗客関係図をこしらえ、彼らの行動をチェックし(そもそも結婚を祝いに来ている人達を疑うなよ!)物的証拠もないのに状況証拠だけで犯人と決めつけ追及、しまいには怪しい人間を一晩中監視する!

 なんでそこまでしないといけないの?

 翔太が探偵役をしなければならない理由に必然性が感じられないから、観客はまったくこの物語に乗れない。やたらと多い登場人物は「容疑者がたくさんいる」という状況を作り出すためだけで、ほとんどは話の本筋とまったく関係ない人物が観客を煙に巻こうとするためだけに怪しい行動を取り続ける。突然素っ頓狂なことを喚きだしたり、奇怪な行動に走り、全身全霊で「怪しいですよ!」「変な人ですよ!」「疑わしいですよ!」と過剰なアピールを繰り返す。

 役者陣の演技も本当にわざとらしく、竹中直人のいつもの過剰な演技、まさに一世一代の見せ場のような大げさ演技だが、やればやるほど白けるだけ。西野七瀬の「わたしは、ミステリアスです!」と全身で主張する様も笑いが抑えられない。彼女が悪いのではなく、こんな役をやらせるほうが悪いのだ。田中圭もどうしてあんな不快な役回りをさせられてるのだろう?

 伏線はわざとらしく配置され(思い切り大写しになるので、誰もが「あ、これ後で重要なアイテムとして使われるんだろうな」と予想できる)、いかにも疑わしい人間は実は犯人ではない。

 原案・企画者の秋元康らしいミステリーの雰囲気だけを拝借したハッタリ要素が満載で、真面目な密室ミステリーと思って想像力の翼をはためかせても無駄である。意味なんて、ないのだから。

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