まるで『ピタゴラスイッチ』…『宮松と山下』永遠に見続けられる香川照之の所作
#香川照之 #稲田豊史 #さよならシネマ
永遠に見続けられる香川の所作
宮松(香川照之)はエキストラ専門の俳優。時代劇の斬られ役、ビアガーデンでビールを飲むサラリーマン役、酒場でただ撃たれる役、女と同棲している名もなき男役などを、日々演じている。慎ましきひとり暮らし。几帳面で物静か。そんな宮松は12年前より以前の記憶がない。
本作は一応ミステリーの体裁をとっているので、宮松が何者なのか、なぜ記憶をなくしたのかが少しずつ明かされる物語構造を取っている。しかしそれは長編映画として成立させるための方便でしかなく、(たぶん)さして重要ではない。
自分が何者かわからない男が、日々異なる虚構のなかで、まったく違う役を演じる。エキストラだけに、それらはすべて取り替えがきく存在。……と聞くと、いかにも何か意味ありげで奥深いテーマが控えていそうだが、それも(たぶん)本質ではない。
香川照之が、虚構の中で多種多様な端役を次から次へと演じ、現実の中でなんてことのない生活を送る。その所作はずっと眺めていられるほど味わい深い。これが(たぶん)本作のキモだ。
浪人笠と蓑をいそいそと身につける香川。カップ焼きそばをすする香川。ロープウェイの点検表に丸定規を使って◯をつける香川。同棲相手役の女性(野波麻帆)と歯磨きをする香川。日本酒をおそるおそる口につけ、旨そうに飲む香川。バッティングセンターで見事なフォームを披露する香川。タバコを吸う香川。どの場面の香川の表情も、どこか所在なく、何かに対して申し訳なさそうだ。
その神経質で精密な芝居の連続は、まるでピタゴラ装置のボールが、正確無比な挙動で次々と仕掛けを作動させてゆくさまを、どことなく想起させる。なぜか飽きない。ノンバーバルな所作そのものが面白い。永遠に見ていられる。
奥に控える「アルゴリズム」
ドラマチックな劇伴(BGM)などは添えられない。その模様は丁寧に、淡々と綴られる。香川が『半沢直樹』などで見せた大仰な芝居は一切出てこない。時おり、水を打ったような静けさが画面を覆う。明鏡止水。この感じも実に心地良い。
ピタゴラ装置は、一見して牧歌的で平和的なからくり機構だが、その裏では仕掛けの動きが精密にシミュレートされている。仕掛けによっては配置が1mmずれても成功しない。素人の思いつきではとても作れない。プロの仕事だ。
それは言わば、アルゴリズムのビジュアル化だ。アルゴリズムとは、解が決まっている問題に対して、その解を求めるための手続きのこと。
本作も同じだ。一見して「俳優・香川照之の職業チャレンジシリーズ」あるいは「香川照之・七変化」のようでいて、いざ薄皮一枚ひっぺがせば、「解が決まっている問題」「動かしようのない世界の理」の気配がする。
「解が決まっている問題」の気配をうっすら感じながら、しかし表層1mmだけを眺めていれば楽しめる。ピタゴラ装置も本作も、モチーフやテーマの「意味」を深掘りするのではなく、目の前で起こっている「現象」を味わうことに特化した作品なのだ。
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