まるで『ピタゴラスイッチ』…『宮松と山下』永遠に見続けられる香川照之の所作
#香川照之 #稲田豊史 #さよならシネマ
まもなく1歳になる息子と一緒に、よく『ピタゴラスイッチ』を見る。Eテレで放送中の幼児向け番組だ。
『ピタゴラスイッチ』には色々なコーナーがあって、どれもこれも面白いのだが、看板コーナーとも言えるのが「ピタゴラ装置」だ。「ボールを指で押して転がす」など何らかのアクションを最初に行うと、以降は連鎖してドミノが倒れたり、別のものが転がったり、凝った仕掛けが連続的に作動したりして、最終的には「ピタゴラスイッチ」あるいは「ピ」といった文字が「旗が立つ」「紙がめくれて露わになる」などの方法で表示されて終わり。
高度な機構を駆使し、回りくどい挙動をさんざん見せつけたあげく、最終的にはただ文字を表示するだけというシンプルさ。大山鳴動して鼠一匹。その無駄や馬鹿馬鹿しさが、とても愛おしい。
息子はまだ言葉がわからない。それゆえ対話劇のようなものはあまり見てくれない。だがピタゴラ装置はノンバーバル(非言語)な動きの面白さだけが追求されているので、比較的集中して見てくれる。
ピタゴラ装置は、筆者のような大人が見ても面白い。飽きないでずっと見ていられる。しかも斬新な仕掛けの作動でセンス・オブ・ワンダーは大いに刺激されるが、脳が疲労することはない。
なぜなら、そこに意味や物語が発生していないからだ。理由や意義や目的や比喩や類推のような「解釈」の介在する余地がないからだ。当たり前だが、ボールが転がって何かに衝突する社会的影響だとか、仕掛けの文学的意義だとか、装置の費用対効果だとかを考える必要はない。ボールが転がって、いろいろな装置が作動し、最後に文字が出て終わり。それだけだ。
位置エネルギーがどうたら、摩擦係数がどうたらといった理屈が仕掛けの背後にあるのは確かだ。ただそれは、キャンプファイヤーの炎や水面の反射光と同じ。その奥には物理法則や化学法則、光の反射や屈折の理論といった、この世の理(ことわり)が働いているが、それを解析しろ、意味を暴け、言語化しろなどと強要はされない。ただ眺めていればよい。実際、炎や水面はピタゴラ装置と同様、ずっと見ていられる。
その『ピタゴラスイッチ』の企画・監修を務めるのが佐藤雅彦である。ある世代以上にとっては、湖池屋「スコーン」「ポリンキー」「ドンタコス」のCMプランナー、プレイステーション用ゲーム『I.Q』の生みの親、『だんご3兄弟』の作詞とプロデュース――と言えば通りがよいだろう。
その佐藤が監督のひとりとして名を連ねる『宮松と山下』もピタゴラ装置のような映画だ。本作の監督・脚本・編集は、関友太郎、佐藤雅彦、平瀬謙太郎の3人からなる、「5月」と名付けられた監督集団である。
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