泉ピン子、『渡鬼』追悼ドラマから声かからず… なぜ、そこまで嫌われるのか?
#本多圭 #泉ピン子 #渡る世間は鬼ばかり
昨年4月に95歳で亡くなった人気脚本家・橋田壽賀子さん。来年、3回忌を迎えるにあたり、TBSでは、橋田さんの代表作『渡る世間は鬼ばかり』のキャストを集めて追悼ドラマの制作を進めているというが、「週刊文春」によれば、そのドラマに、泉ピン子がキャスティングされていないという。
「追悼ドラマの主演を務めるのは、相葉雅紀と上戸彩で、それに『渡る世間は鬼ばかり』メンバーだった角野卓造、中田善子、藤田朋子が脇を固め、さらに石坂浩二がナレーションを務めます。報道の通り、ピン子の名前はありません」 (TBSの元ドラマ関係者)
橋田さんの代表作『渡る世間は鬼ばかり』は1990年の放送開始後、21年間にわたって放送され、全500回の平均視聴率は20.6%(ビデオリサーチ調べ/関東地区)を記録。“国民的ホームドラマ”と呼ばれたが、そこで女優として揺るがぬ地位を築いたのがピン子だった。 「ピン子は当初、『渡鬼』のレギュラー陣のひとりとして抜擢されたのですが、その後、ドラマの主役に昇格しました」(ドラマ関係者)
もとは売れないお笑いピン芸人だったピン子だが、70年代半ばから情報番組『テレビ三面記事 ウィークエンダー』(日本テレビ系)のリポーターとしてブレーク。その後、ドラマに出演するようになり、1983年、橋田さんが脚本を担当したNHKの連続テレビ小説『おしん』の母親役で女優として脚光を浴びると、橋田さんに演技力を評価され、『渡鬼』シリーズにも出演するようになった。
「一躍、“橋田ファミリー”の一員になったピン子は、橋田さんだけではなく番組プロデューサーの石井ふく子さんにも取り入り、2人の威を借りて、『渡鬼』現場では先輩女優や男優の演技にクレームをつけたり、新人女優をいじめたりしていました。しかも、そのことがメディアに報じられると、ピン子は泣きながら橋田さんや石井さんに“やっていない“と弁明して、信じさせてしまうんです」(元番組関係者)
実際、『渡鬼』には不可解な降板騒動も起きている。
「ドラマの副主人公に当たる岡倉節子役を演じていた名女優の山岡久乃さんが、“海外旅行で急死した”という設定で突然、降板したんです。山岡さんは、ピン子を可愛がる橋田さんとの間で確執が囁かれていたこともあり、さまざまな噂が流れました。いずれにしても、山岡さんの降板によって、ピン子が主役に昇格するや、ますます傲慢不遜な態度を取るようになりました」(前同)
ピン子のデビュー当時の元マネジャーで、筆者とは30年来の親交あるT氏は、「ピン子は昔から作り話が上手く、人を惹きつける力があった。要は、お涙頂戴で相手を信じさせるんです。橋田さんは、まんまとピン子の口車に乗せられてしまったのでしょう」と振り返る。
『渡鬼』をめぐるトラブルといえば、えなりかずきが、ピン子にいじめられ、“共演NG”を出したことを生前の橋田さんが明かしているが、T氏によれば、えなり自身だけでなく、彼のマネジャーを務めていたえなりの母親もピン子の被害者だったという。
「ピン子は、よくシャネルを買い漁っていましたが、それに飽きると、えなりの母親に“あなたもステージママなんだから、もっと良い身なりをしなきゃ”などと言って、お下がりを売りつけるんです。えなりの母親としては、息子が世話になっているから断われない。これも一種のいじめですよ」
それでも昨年、和田アキ子のラジオ番組『ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回』(ニッポン放送)にゲスト出演したピン子は、えなりを「あのガキ」と罵倒し、視聴者を呆れさた。
「生放送にもかかわらず、“誰のおかげで、あのガキもほんとに!”と叫んだピン子に、アッコも引いていました」(芸能ライター)
この放送以来、アッコもピン子と距離を置き始めたというが、『渡鬼』スタッフも、橋田さんの死後、ピン子の起用には積極的ではないという。
「橋田さんが元気なときは、仕方なく付き合っていましたが、ピン子は自己中心的で、会えば人の悪口しか言いませんからね。橋田さんの死後は、スタッフからも敬遠されていたのですが、ピン子が橋田さんの遺骨を持っていると主張した挙げ句、“海洋散骨”をデッチ上げたことで、亀裂は決定的になったといえるでしょう。要は、自らの朗読劇の宣伝に橋田さんの“海洋散骨”を利用したのですからね。追悼ドラマに彼女を起用することは考えられませんよ」(TBS情報番組関係者)
テレビ界では、“ピン子離れ”が加速していくのだろうか。
(文=本多 圭)
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