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日刊サイゾー トップ > 連載・コラム  > 中田敦彦&若林正恭の対話とわずかな変化

中田敦彦「死ぬまで僕は自分の話をする」 若林正恭との対比と対話、わずかな変化

若林正恭「『あちこちオードリー』で(ゲストの)ボンネット開けまくってんのよ俺」

「小学校のときに、連絡事項のプリント、帰りの会とかで配られるのを持って帰れないのよ」

 若林はそう語りはじめた。小学生のころの若林は、学校で配られるプリントを持って帰ることができず、机の引き出しのなかはいつもパンパンになっていたらしい。教科書も持ち帰ることができなかったようだ。長時間座っていることができず、高校生のころは4時間目ぐらいからしか登校できない時期もあったという。

 なぜ自分がそんな状態なのか。なぜみんなができることが自分にはできないのか。彼はその理由を探るため、自分の内側をじっくり観察してきたのだという。

「俺、自分でエッセイ出してるじゃん。自分探しって言葉って軽んじられてるけど、自分を車だとすると、なんでみんなと違う速度で、みんなより燃費こんな悪いんだろうって、自分のボンネット開けてずっと見てんのよ」

 そんな内省の時期もある時期に終わる。すると、その探究のベクトルは外に向きはじめたらしい。

「ある程度、なるほどね、この部品が欠けてるし、ここの部品が足りないからみんなと違う……人見知りとかだったりする理由ここか、みたいなのがわかってきたぐらいで、だから他人の車が気になってしょうがないのよ。この人どういう構造でって。だから『あちこちオードリー』で(ゲストの)ボンネット開けまくってんのよ俺」

 そんな「自己分析と内省が完了してる」という若林に、今度は中田が聞いていく。若林は賞レースの審査員をやることはないのか? この問いをきっかけに、若林はさらに自身とネタの関係を語っていくのだった。

 自分の話を他人に聞いてもらえたからこそ、今度は自分が他人の話を聞くことができる。自分のストーリーを他人と共有するからこそ、自分の心のなかに他人のストーリーを置くためのスペースが生まれる。冒頭で引用した本にもあるような、聞くことと聞いてもらうことのそんな循環を、中田と若林の対話にも見て取りたくなった。

「俺まだ帰りたくないっす」

 収録が終わると、中田はオードリーにそう漏らした。これは私が彼を見るレンズの歪みもあるだろうが、今回の出演は中田敦彦による“中田敦彦”のプレゼンでもあったのだろう。衣装はネクタイの柄も含めてYouTube出演時の定番のものだった。彼はどこに「帰る」のか。個人的には、ひとり語りする中田だけでなく、人から話を聞く中田、対話する中田をテレビでもう少し見たくなった。

飲用てれび(テレビウォッチャー)

関西在住のテレビウォッチャー。

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いんようてれび

最終更新:2023/02/27 18:52
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