「餃子の王将社長殺害事件」の裏側(1) 容疑者が属した工藤會の内実
#餃子の王将
工藤會の2つの派閥
そうした影響は、服役中だった「口が堅い男」と業界内で知られる田中容疑者の心情を揺れ動かすことに繋がっていたとしてもおかしくないだろう。
なぜならば、田中容疑者は餃子の王将社長殺害事件に関与した疑いがあるとして、福岡刑務所から引き戻され、逮捕された際の取り調べに対し、雑談には応じているものの、事件については黙秘しているというからだ。つまり「関係ない」「やっていない」と否認しているわけではないのである。
これまで京都府警の捜査員は、さまざまな状況証拠を丁寧に積み重ねているだけではなく、福岡刑務所に服役中だった田中容疑者のもとに何度も赴き、事情聴取を重ねている。
これは、野村総裁と田上会長ら首脳陣を、殺人や組織犯罪処罰法違反(組織的殺人未遂)容疑などで逮捕したときと同じ手法だった。事件を丹念に洗い直す一方で、実行犯として逮捕され、無期懲役が確定し服役中だった組員らの元に捜査員を派遣し、事情聴取を行なっていたのだ。
そうした中で、捜査員から聞く工藤會の現状について、田中容疑者はどう感じていたのだろうか。
そして、田中容疑者の反応と合わせて、これまで積み重ねきた状況証拠があれば、公判を十分に維持できるという手ごたえを掴んだ京都府警は、デッドロックに乗り上げていた王将社長殺害事件を一気に解決させるために動いてみせたと推測できる。田中容疑者のわずかな心の機微を触れ、「おとせる」、つまりは事件に関係する供述を取れると踏んだのではないか。
「ただですね、この王将事件は三代目時代まで掘り起こすことになるといわれてます」(福岡の暴力団元幹部)
この言葉には解説が必要だろう。
工藤會には、2つの派閥があったことで知られている。ひとつは野村総裁が組長を務めた工藤組田中組派閥。もうひとつは、故溝下総裁が若頭を務めた草野一家派閥だ。
かつて、工藤組と草野一家は、工藤玄治組長と草野高明総長の間で、思いの行き違いが生じてしまい、激しい抗争を繰り広げることになった。それを一本化させたのが、三代目会長を務めた溝下総裁なのだが、溝下総裁の死後、工藤會は田中組派閥が支配することなる。それまで保たれていたパワーバランスが一気に傾き、田中組派閥による、草野一家派への粛清が始まったのだ。
例えば、溝下総裁が創設させた組織の跡目を継ぎ、工藤會の重職を務めていた某組長は、服役中に組織から処分され、出所後に射殺されている。他にも溝下総裁の側近が殺されるなど、過去の遺恨が完全に払拭されていないことが表面化することになったのだった。
そうした経緯の中、前述の通り、溝下総裁の死後、石田組長は溝下性を石田性に戻し、溝下組から石田組に改名している。
当局が、工藤會の弱体化を目指し摘発してきた一連の事件には、野村総裁の率いる田中組派が多く関与していたとされている。現在の田上会長も、野村総裁に田中組の跡目を継受された後、五代目工藤会長を継承した田中組派。そして、工藤會のナンバー2にあたる理事長の菊池啓吾組長は、田上会長に継いで五代目田中組の当代となり、現在、社会不在を余儀なくされている。
対して、総本部長という重責にある石田組長は逮捕されていない。その理由を紐解けば、石田組長はもともと溝下総裁の実子分になったほどの人物なので、溝下総裁派、つまりは草野一家の派閥に近かったからではないだろうか。
そうした中で、「三代目時代まで掘り下げなければならない」と元幹部が口にした言葉から考えると、仮に王将社長殺害事件が工藤會の組織的犯罪であるとするならば、日本で一番凶悪なイメージを与えた工藤會の現在の本流、田中組派閥による犯行とは、また違った側面が存在するのかもしれない。
では、どうして王将社長殺害事件は起きたのか。
工藤會と王将が親密な関係にあったかというと、そうではないだろう。そこで登場するのが、ある人物。ここではXとしよう。このXの亡き親族と王将の創立者は一心同体という関係性で、王将を全国展開させるのに尽力した人物と言われている。
そして、この2人の死後、あるゴルフクラブをめぐり、大きなトラブルが発生することになっていくのだった。(続く)
(文=沖田臥竜/作家)
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