「餃子の王将社長殺害事件」の裏側(1) 容疑者が属した工藤會の内実
#餃子の王将
10月28日の夕刻、福岡刑務所から出発した田中幸雄容疑者(56)を乗せた警察車両は、厳戒態勢ともいえる警護を受けながら京都府警山科署に入った。それは約9年もの間、デッドロックに乗り上げていたか見えた「餃子の王将」社長射殺事件が、弾けた瞬間でもあった。
だが、この長きにわたる期間、警察当局に焦りがあったかといえば、必ずしもそうとはいえない。
なぜならば、すでに当局は田中容疑者の身柄を別の事件(工藤會系組員ら2人と共謀し、大手ゼネコン「大林組」の社員が乗った車に銃撃した事件)で取り、福岡刑務所に服役させていたからだ。つまりは、田中容疑者に逃走される恐れはなく、じっくり勝負することができたのである。
事件当初から、地元の業界関係者らの間では、餃子の王将社長殺害事件は、田中容疑者が所属していた工藤會系組織の“仕事”ではないかと囁かれていた。それは福岡県警の刑事ですら口にしていたことだ。
「あれはもう警察も田中さんのことを口にしとりましたけんね。田中さんは口が硬いことは有名でしたよ。ええとこの大学を卒業ばしとるはずです。私が知っとる頃はですね、工藤會の石田組で本部長ばやっとうたです」(田中容疑者を知る、福岡の元暴力団幹部)
工藤會石田組とは、五代目工藤會で総本部長を務める石田正雄組長が率いる組織で、石田組長自身、過去に組織のためにジギリを賭けている(組織のために身体を張って、違法行為もいとわない行動を取ること)。それが、工藤會の中輿の祖、三代目工藤會会長であった溝下秀男総裁に高く評価され、同総裁の実子分となり、さらには溝下組を率いる立場となったのだ。
2008年の溝下総裁の死後、石田組長は、それまで名乗っていた溝下性から石田性に戻し、それに伴い、率いた組織も溝下組から石田組に改名。その石田組で当時、本部長を務めていたのが、某一流大学を卒業後に公務員などの職に就いたのち、現・石田組の門を叩くことになったといわれる田中容疑者ということなる。
今から19年前、田中容疑者は福岡市東区のパチンコ店 「マルハン二又瀬店」にトラックを突っ込ませたことがあった。当時の取調べの際、田中容疑者は容疑を認め「店側に『あいさつに来い』と求めたが、来なかったのでやった」と供述しているのだが、詳しい背景などは語っていない。
これが本当の動機かは不明だが、仮にだ。そこで表沙汰にならなかった組織的背景があったとすれば、田中容疑者のそうした態度が「口の堅い男」との周囲の評価を得たとしてもおかしくなかっただろう。
そして、その評価が田中容疑者をヒットマンのようなポジションに位置付けることになったのだろうか。田中容疑者を知る前出の元幹部は話す。
「工藤會自体がですね。誰がどうとか、これがどうとかいうのではなく、みんながヒットマンというような組織やったですからね。ヤクザ同士のケンカやったら話は別やろうけど、カタギさんは怖かったと思いますよ」
ヤクザ同士のケンカなら話は別、と元幹部が口にするのには多少の訳があった。それは工藤會は、一般市民や企業に危害を加える可能性がある組織として、日本で唯一「特定危険指定暴力団」に指定されているが、その一方で工藤會が本拠地を置く福岡県内のヤクザ業界では、ヤクザ同士の抗争においては、他に比べて特別に凶暴な組織という認識がないからかもしれない。
九州で活動するある幹部は、過去の工藤會について、このようなことを口にしている。
「あそこはカタギと身内ばかりに手をかける」
逆に言えば、一般市民にも平気で手を出すことがある組織として、社会に恐怖を与えていたわけだ。
そんな姿勢を「国家に対する挑戦、テロ」と見た福岡県警は立ち上がり、国家権力の威信にかけて工藤會壊滅作戦を展開させることになる。過去の事件を次から次に掘り起こし、2014年には、トップである野村悟総裁と五代目工藤會の田上不美夫会長ら最高幹部を一斉に逮捕して、組織を大きく弱体化させたのだ。
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