キャイ~ンはなぜ『めちゃイケ』レギュラーのオファーを断ったか お笑い界のifがそこにある?
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天野の扱いに激怒したウド、『めちゃイケ』オファーを固辞?
96年、ナインティナインを座長格とするバラエティ番組『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)がスタートした。その際、めちゃイケメンバーとしてキャイ~ンにオファーが届いたそうだ。しかし、2人はそれを断った。
「その前身の番組(『めちゃ×2モテたいッ!』)でナイナイを中心にやってく 流れが少し固まってる状態のとき、『僕たちはここに入って輝けるか?』みたいなところ。あと、僕たちを買ってくれてた人たち(番組スタッフ)がいて。『じゃあ、僕たちは僕たちを応援してくれてる人たちと一緒に番組をやろう』っていう流れに決めたんですよね。だから、『めちゃイケ』とかに出ないというか、そことは別の道で頑張ろうと思ってたんで。そこは、(ウドと)2人で話して」(天野)
『めちゃイケ』のオファーを断るというのも、かなりイキった話である。ただ、少なくともスタート当初の『めちゃイケ』は岡村隆史のための番組だった。しかも、ナイナイとキャイ~ンは「お笑い第4世代」の中心と目された2組である。「ライバルに座長格を譲ったまま共演する道は得策ではない」と、天野は考えたのかもしれない。
こんなふうに芸人がプライドと戦略を優先させ、それが“出演拒否”という形に発展した例は他にもある。バナナマンが頑なに『タモリの超ボキャブラ天国』(フジテレビ系)の出演を拒んだり、東京03が『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)発のショートネタブームを横目に我が道を貫いたり。まさに、「別の道で頑張ろう」だ。
あと、もう1つ。天野は「『めちゃイケ』の前身番組」という言い方をしたが、この番組に至るまでには『新しい波』→『とぶくすり』→『殿様のフェロモン』→『めちゃモテ』→『めちゃイケ』という変遷があった。
注目は、上記の流れの大元にあたる『新しい波』である。各回に1~2組の若手が登場し、ネタを披露するこの番組。もちろんナイナイも出演していたし、キャイ~ンも実は出演していた。そんな『新しい波』の最終回にて、選抜メンバーによる合同コントスペシャルが行われている。出演したのは、ナイナイ、よゐこ、オアシズ、極楽とんぼ、フォークダンスDE成子坂、ジュンカッツ、K2、そしてキャイ~ンだ。
発端は、この回に行われた「マルコムX大集会」という企画。出演者全員が黒人の偉人に扮し、大喜利を行うというコーナーだった。マルコムXに扮した加藤浩次が司会を務め、ウドはマイク・タイソンを意識した「オカシ家タイソン」という名前で登場。そして、座布団運びは「エマニエル坊や」の天野が担当することとなった。他の芸人は回答者なのに、天野だけ座布団運び。相方のこの扱いにウドは激怒し、『めちゃイケ』からのオファーを固辞した……という話が、お笑いファンの間では定説となっている。
2015年放送『もしもツアーズ』にゲスト出演したよゐこ・濱口優も、『めちゃイケ』スタート時のすったもんだについて告白している。曰く、キャイ~ンと仲の良い自分がレギュラー入りについて説得するようスタッフから命を受けたものの、「『新しい波』での天野君の扱いが許せないから、ぐっちょん(濱口)のお願いでもそれは聞けない」と、特にウドの態度が頑なだったと……。
“平成のひょうきん族”を目指していた『めちゃイケ』である。「お笑い芸人のレギュラーをもう少し増やしたい」という意向が番組にあったとしても、おかしくない。『めちゃイケ』にキャイ~ンが出ていたら、どうなっていた?
その並行世界を夢想すると、お笑い界の歴史は変わっていた可能性がある。例えば、「ファミリーにウドがいるため、濱口の天然にまではスポットは当たらなかったのでは?」などなど。さまざまなifが浮かんでは消えるのだ。『めちゃいけ』総監督を名乗っていたプロデューサー・片岡飛鳥のキャイ~ンに対するコメントも聞いてみたいし、今という時点から掘り起こしたい話ではある。
その後、キャイ~ンは『ウリナリ』にレギュラーとして参加した。彼らも先輩・ウンナンが冠の番組なら、素直にサポートとして参加できたのだろう。同番組でのキャイ~ンは、ポケビ・ブラビのみならず、芸能人社交ダンス部やドーバー海峡横断部など、さまざまな企画で脚光を浴びることとなった。
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