反レイシズム以外の政治的ラップにフェミニズムとの対峙… HIPHOP批評家バトル勃発!
#ヒップホップ #つやちゃん
日本語ラップで強い政治性を帯びた般若、宇多丸そして鎮座DOPENESS 、Moment Joonjへ
――本書のコアになる部分だと思うので、もう少し突っ込んで伺ってもよいでしょうか。日本語ラップは、アメリカのヒップホップに対し常に負い目を感じながらやってきた歴史があります。そもそも、政治的にまったく異なる環境・価値観にある。それらを踏まえた上で、韻踏み夫さんが最も政治的に可能性を感じる日本語ラップはどのあたりになるのでしょうか。
韻踏み夫 アメリカと日本のヒップホップの違いとしては、まずは反レイシズムが強いか弱いかというところですよね。もちろん、般若やHAIIRO DE ROSSIやECDたちがやってはいたけれど、極めて少数派であると。ただ、私は最近、アメリカのヒップホップについて、そういった解釈だけだと不十分だと感じるようになってきました。ジェフ・チャンの『ヒップホップ・ジェネレーション』(リットーミュージック)などを読むと、ポスト68年という観点でヒップホップを捉えようとしていることが明らかです。
例えば、自分が一番評価しているブラックパンサー党は反レイシズムだけを唱えていたわけではなく資本主義を壊せと言っていたし、かなり早い時期に同性愛運動やフェミニズムとの連帯も試みていました。そう考えると、今のヒップホップで出てきているクィア・ラップの問題なんかもすでに捉えていたと思います。
一方で日本に置き換えるとどうなるかというと、我々はポスト68年、ポスト60年代という意識よりはポスト戦争、つまり「戦後」という意識にとらわれてしまっている。アメリカへの負い目というのが問題になるのも、戦後体制に意識が規定されているからではないか。このあたりは絓秀実が批判していて、「45年革命説」ではなく68年世界革命史観じゃないといけないというようなことを言っています。なぜなら、45年革命説=戦後民主主義だとナショナリズムにしか行き着かないと。
――68年革命史観で見た際に、先ほどの宇多丸やメシア THE フライ、Moment Joonがいかに革命的かが際立ってくるということですね。
韻踏み夫 そうですね。DJ OASIS「キ・キ・チ・ガ・イ feat. 宇多丸 & K DUB SHINE」での天皇制批判だったり、学生運動をテーマにしたDJ OLDFASHION feat メシアTHE フライの「ゲバルト」という曲が素晴らしかったり。最近だと、Moment Joonは戦後民主主義というのを根底から批判するような、反植民地主義をラップしている。日本語ラップの政治性という点で一番可能性を感じるのはそのあたりですね。
――私は、鎮座DOPENESSの頁の政治性に関する指摘に非常に納得しました。
非マッチョな運動として新しかった1990年代の「だめ連」を引き合いに出しながら、マッチョなギャングスタラップも鎮座のスタンスも、どちらもネオリベラル資本主義の支配体制を敵としているコインの表裏でしかない、と論じています。鎮座を「ゆるりとした感性」と形容することに安住している人たちに対し、その政治性から逃げるなと言っているわけでしょう。これには奮い立たされました。
同時に、MICADELICの『Funk Junk』の頁にも韻踏み夫さんの批評に宿る共通の美学が観察されます。一見コンシャスネスから遠いような存在からいかに政治性を読み取るか、と。私自身は普段「軽いものの中に重さを発見する」ということを批評のテーマにしているので、そのあたりともどこか繋がっている気がしてなりませんでした。
韻踏み夫 自分は、政治とヒップホップを考える上では大和田俊之さん、磯部涼さん、吉田雅史さんによる書籍『ラップは何を映しているのか』(毎日新聞出版)に結構、影響を受けているんです。あれは、直接的なポリティカル・ラップやコンシャス・ラップだけでなく、例えばミーゴスに宿る政治性を考えよう、という切り口じゃないですか。一般的に政治を歌っていない作品からも、政治を読み込んでいくことはできるんじゃないかという試みです。鎮座のレビューはそれに近いですね。
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