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「クリティカル・クリティーク」特別編 つやちゃん×韻踏み夫

反レイシズム以外の政治的ラップにフェミニズムとの対峙… HIPHOP批評家バトル勃発!

90年代と比べの評価が進んでいなかった00年代以降の日本語ラップに着手

――教科書的な紹介が7~8割で、批評が2~3割という配分にされたのはなぜでしょう。

韻踏み夫 日本語ラップのオタクやヘッズは在野研究者みたいなもので、めちゃくちゃディグって知識をたくさん蓄えている。批評家はそこに外からやってきて色々言う、みたいな存在ですよね。そういう関係性の中で、教科書的な知識が前提とされていない中で批評をやってもあまり響かないのではと思うんです。今の段階は、批評全開でいくよりはまず知識を共有していく方が先なのかもしれないと。

――それは、文芸批評的な視座に加えて、日頃から日本語ラップオタクでありヘッズ的なディグをされている韻踏み夫さんだからこそ可能なことですね。韻踏み夫さんの個人史をさかのぼると、日本語ラップ体験の原点はどのあたりなのでしょうか。

韻踏み夫 般若とSEEDAです。般若の1st『おはよう日本』と2nd『根こそぎ』は何回聴いたかわからないし、SEEDAも『花と雨』で衝撃を受けて。

――となると、2000年代ですね。自分もSEEDAから本格的に日本語ラップにハマっていったので、非常に共感します。本書では特に2000年代を前半・後半に分けて手厚く紹介している印象を受けたのですが、やはりそういった個人史的な影響も多いのでしょうか。

韻踏み夫 そうですね。原体験である2000年代の日本語ラップが好き、という気持ちは漏れ出てしまっているかもしれない。特にSEEDAまわりが手厚くなっていたりとか。同時に、90年代の日本語ラップの評価は結構進んでいるけれど2000年代がまだまだ薄いのではないか、という思いもありました。

――本書は、政治的視点が色濃く投影されているところも特長です。それは、原体験が般若とSEEDAだったから、というところも関係ありますか?

韻踏み夫 確かに般若とSEEDAは普通にポリティカル・ラップ作品を出している人たちですが、自分の場合は、どちらかというとそれ以上に2010年代末のBlack Lives Matterのほうが、影響としては大きいかもしれないです。日本でラップについて書いている自分もちゃんとそういった動きに追いついていく必要があると思ったんですよ。

 例えば、ラッパーのノーネームがファノンなどを読んだりすることで先鋭化していったのを見て、そこに自分もついていかなきゃと。文芸批評においても、政治的なテーマが重要になってきた数年でした。だからこそDJ OASIS「キ・キ・チ・ガ・イ feat. 宇多丸 & K DUB SHINE」や、他にもメシアTHEフライ、Moment Joonなどは心の底から肯定できた。そういう視点で、改めて般若とSEEDAの作品を捉えていった、というところはあるかもしれないです。

――それは非常に意義深いですね。Black Lives Matter以降の視点でもう一度日本語ラップの政治性を解釈しなおす、という作業であると。

韻踏み夫 SCARSや降神、SIMI LAB、あとは意外なところだとAKLOかも、そういった政治的な話と結びつけて語ることができて面白かったです。

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