映画『ソードアート・オンライン』から鑑みるデスゲームものから「幸せ」を感じられる理由
#ヒナタカ
デスゲームだからこそ描ける理想的なヒーロー
主人公である「キリト」の立ち位置もとても興味深いものだった。彼はゲームの始まりからギルド(チーム)に入らず、ヒロインの「アスナ」とバディを組んでゲームを進めており、今回の『冥き夕闇のスケルツォ』では2大ギルドの争いを避けるため、とある行動に出ることになる。もっと言えば、彼は見返りや報酬を全く求めることなく、ただ他人を助けようとするのだ。
通常のMMORPGであれば、誰かを助けたりクエストをこなしたりして、プレイヤーからの感謝やゲーム内の通貨や報酬を得られるというのが醍醐味だろう。だが、キリトの行動はそうしたゲームの規範的な楽しみ方とは真逆を行く。デスゲームが強いられている中で、ただ「誰かのため」に行動するキリトは、むしろ「孤高のヒーロー」として讃えるべき存在に見えてくる。
矛盾しているようだが、これはゲームを題材としたデスゲームものだからこそ描ける、ひとつの理想的なヒーローの姿ではないだろうか。本来のゲームは現実の自分の生死とは全く関係なく楽しめる娯楽であるし、感謝や報酬をもらえるからこそモチベーションが生まれる。一方でキリトはゲームで死んだら死ぬ上に、厳しい試練に挑み、それで見返りも何も求めないなんて、通常のゲームにおける理想とは明らかに真逆だろう。
だが、その理想とは真逆なはずである行動原理であっても、現実ではない創作物の物語を持って提示されると、前述した中高生の手紙のように「幸せそうだ」とまで思える。それもやはり、デスゲームというはっきりした状況だからこそ、キリトの人生が凝縮され充実しているように見えるからではないだろうか。彼の尊さを知るアスナや、劇場版オリジナルキャラクターの「ミト」の言動も、とても胸に迫るものだった
少なくとも、この映画を観て筆者はキリトというヒーローがうらやましく思えたし、やはり身近に触れるゲームの設定を持ち込んだデスゲームものだからこそ『SAO』は若者から支持を得たのだと納得できたのだ。およそ20年にわたり作られ続けてきたデスゲームもの、その人気の理由を一旦を知るためにも、映画館で観てみてはいかがだろうか。
『劇場版 ソードアート・オンライン -プログレッシブ- 冥き夕闇のスケルツォ』
10月22日(土)より全国公開!
監督:河野亜矢子
原作・ストーリー原案:川原 礫(「電撃文庫」刊)
キャスト:戸松 遥、松岡禎丞、水瀬いのり、井澤詩織、安元洋貴、関智一 他
制作:A-1 Pictures
配給:アニプレックス
C) 2020 川原 礫/KADOKAWA/SAO-P Project
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