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映画『ソードアート・オンライン』から鑑みるデスゲームものから「幸せ」を感じられる理由

デスゲームものに「幸せ」を感じられる理由

 だが、その親しみやすいはずのゲームの世界で行われるのは、過酷なデスゲーム。矛盾しているようだが、その死を強く想起させるデスゲームでこそ、逆に「生」を強く感じさせることが、『SAO』に限らずデスゲームものが若者に支持を得る理由なのではないだろうか。

映画『ソードアート・オンライン』から鑑みるデスゲームものから「幸せ」を感じられる理由の画像3
漫画『バトルロワイヤル』(秋田書店)

 そう感じさせる事例をひとつ紹介しよう。『バトル・ロワイアル』の漫画版の5巻に収録された後書きの対談で、原作小説の作者である高見広春の元に、中高生くらいの方から「生徒たちが幸せそうでうらやましい」と記された印象的な手紙が届いたことが語られている。

 ここで漫画版の作者である田口雅之は「(デスゲームで)死ぬのはやだし、殺されるなんてもってのほかだけど、そういうはっきりした状況だからこそ、逆に人生が活き活きとしたものに見えてくることはありますよね」、高見広春も「彼等が生きている場面っていうのは、物語である以上、切り取られて凝縮されているからこそ、充実感があるとも言えます」などと、その手紙に「わかる気がする」と共感を示していた。

映画『ソードアート・オンライン』から鑑みるデスゲームものから「幸せ」を感じられる理由の画像4
C) 2020 川原 礫/KADOKAWA/SAO-P Project

 デスゲームに参加し、明日どころか数秒後にも死んでしまうかもしれない状況にいる者たちを「幸せそう」と感じるなんて、間違っているようにも思えるが筆者もまた、理解できるところがある。平和な日常では死の危険を感じることはほとんどないからこそ、生きているという実感もまた得難いのではないだろうか。むしろ、死に直面する状況でこそ、生きる喜びを瞬間的であっても強く感じられるのではないか、と。複雑な現実の問題に直面し、かつ精神的に未分化で不安定な若者であればこそ、そこに共感もしやすいのではないだろうか。

映画『ソードアート・オンライン』から鑑みるデスゲームものから「幸せ」を感じられる理由の画像5
C) 2020 川原 礫/KADOKAWA/SAO-P Project

 それを幸せと呼べるかどうかはともかく、わかりやすい生死の境目を描くデスゲームの物語に惹かれるのは、少なくとも真っ当なことでもあるとも思う。映画に限らず全ての創作物は、理想的なことばかりでなく、得てして「絶対に体験したくないことを擬似体験させてくれること」「それでこそ得られる感情や価値観」にも、意義があるのだから。

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