映画『ソードアート・オンライン』から鑑みるデスゲームものから「幸せ」を感じられる理由
#ヒナタカ
10月22日より『劇場版 ソードアート・オンライン -プログレッシブ- 冥(くら)き夕闇のスケルツォ』が公開されている。
川原礫による原作のライトノベル『ソードアート・オンライン』(以下『SAO』)は、メディアミックスが成功したWEB小説の、草分け的存在であり大人気作。2002年より個人サイトで連載され、2009年より刊行された書籍シリーズの世界累計発行部数は2200万部を突破、そして2012年からのアニメは4シリーズにわたり放送されるなど、もう10~20年の間、親しまれているのだ。
今回のアニメ映画は、ヒロインの視点から語り直すリブート(仕切り直し)シリーズの第2弾。そのため、2021年公開の前作『劇場版 ソードアート・オンライン -プログレッシブ- 星なき夜のアリア』だけを観ていれば問題なく楽しめる、比較的シリーズ初心者でも入り込みやすい作品でもある。派手なエフェクトがあるバトルシーンの画や音響は大迫力で、IMAX上映が実施されることも納得のクオリティを実現していた。
そして、この『SAO』、特に第1シリーズはいわゆる「デスゲーム」要素が強い。古くは映画版が国会でも議論の的になった小説『バトル・ロワイアル』、新しくはNetflixで配信中のドラマ『イカゲーム』といった同じくデスゲームものの特徴も踏まえると、若者から支持を得る理由がとてもよくわかったのだ。その理由を記していこう。
ゲームという現実と地続きの舞台
『SAO』の第1シリーズおよび、今回リブートされた劇場版2作のあらすじを簡単に記せば、「ゲームの世界に閉じこめられ、その中で死ぬと現実の世界でも死んでしまう状況の中、クリアを目指す」というもの。多人数が同時参加する「MMORPG」のゲームでありつつ、仮想空間の中で戦う「VR」の中でデスゲームが行われているというわけだ。
MMORPGとVR、もっと広い意味でのネットでコミュニケーションが楽しめるゲームは、『SAO』シリーズがある前から現実に存在し、その後も進化を続けている。つまり、SFファンタジーであると同時に現実の世界と地続きとなる設定であるため、ゲームが好きな若者にとってはより、親しみやすさを覚えていたのではないか。
『バトル・ロワイアル』では、中学3年生という多感な年頃の生徒たちのさまざまな想いが交錯していて、『イカゲーム』では韓国の格差社会の現状をはっきりと各キャラクターに投影させていた。題材やターゲットはやや異なるが、身近で共感しやすい要素をデスゲームも持ち込んでいる点は『SAO』も共通しているとも言えるのだ。
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事