『もっと超越した所へ。』反ジェンダーフリーなどんでん返しと主題歌がaikoの意味
#稲田豊史 #さよならシネマ
虚構的仮想現実内のディストピア?
ただし彼女たちの出した結論が、映画の主張する「あるべき理想状態」であると解釈するのは早計であろう。なぜならラスト15分の描写がかなり……虚構と現実を交錯させた特殊な作りだからだ。
つまりこの結論は、「虚構的仮想現実内で繰り広げられるディストピア」という、批評性込みの皮肉に満ちたブラックコメディのそれとして受け取ることも、また可能である。
だから、我々が考えなければならないのは、おそらくこういうことだ。
4人の女性たちは男を完全に養えるほど経済的・精神的に自立しており、男にどう人権侵害されているかを的確に言語化するだけの知性があり、怯むことなく彼らを糾弾することができるくらいの胆力がある。なのになぜ、嬉々として「マリア様になる」選択をするのか?
なお、本作の原作は平成生まれの劇作家・根本宗子の同名舞台であり、映画版の脚本も根本自身が手掛けていることを、ここに付記しておきたい。
「主題歌:aiko」が示すもの
呆然もつかの間、エンドロールで流れる主題歌はaikoだ。
aikoといえば、1998年のデビュー以来、「女子の立場から綴る恋愛ソング」しか歌わないことで知られるシンガーソングライターである。
彼女が歌い上げるのは「しおらしく一途に恋するオンナノコ」の気持ち。「今日もあなたを見つめるのに忙しい」(「初恋」)、「生まれた時からずっとあなたに抱きしめて欲しかったの」(「ロージー」)、「昨日より少しだけ多めにあたしの事を考えてほしい」(「星のない世界」)、「あたしはね あなたをずっと見てたんだよ」(「もっと」)などなど。
aikoには、少なくとも恋愛面で女性が主導権を握る発想がない。男に媚びているのに、媚びたようには見せない。卑屈ではなく健気さを前に出す。当世のジェンダー/フェミニズムの風潮に逆行する、むしろ前時代的な「オンナノコ」のありようを精密機械のように歌い上げるシンガーだ。
明らかに前時代的な女性性を、ぶれることなく四半世紀にわたって体現し続け、熱心なファンを多数擁するaiko。つまりこのような前時代的な女性性は、今もって一定数の女性から好意的に受容され、男性からも明らかに“ニーズ”がある(事実、aikoファンには相当数の男性も含まれている)。
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