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柴田理恵の“号泣折れ線グラフ”、フジの十八番は歴史と分析?――『私のバカせまい史』

柴田理恵の号泣折れ線グラフ、フジの十八番は歴史と分析?――『私のバカせまい史』の画像1
『私のバカせまい史』(フジテレビ系)Twitter(@bakasemai)より

 今まで誰も調べたことがないような“せま~い歴史”を紹介するプレゼンバラエティー、『私のバカせまい史』(フジテレビ系)が話題だ。

 開始当初より全6回のシーズン放送を予告している、同番組。初回は土曜のお昼(2022年2月26日)に、第2弾は週末の23時台(5月6日)に、第4弾は平日深夜(10月12日)にそれぞれ放送されており、めずらしく昼と夜を行き来する流浪っぷりを見せ続けている番組でもある。

 この『バカせまい史』、かなり好評なのだ。なにしろ、第2弾は2022年5月度のギャラクシー賞を受賞したほど。その評価を受け、9月29日放送の第3弾ではゴールデンタイムの120分枠が与えられた。『私のバカせまい史』は、フジテレビが自信を持ってプッシュする優良コンテンツということである。

『私のバカせまい史』を見て『カノッサの屈辱』を思い出す

 本稿で取り上げたいのは、往年のフジテレビらしさをひときわ放出していた今年9月放送の第3弾だ。

 まず最初に、「バカせまい史」とは一体何なのか? 第3弾で取り上げられたテーマは、以下のようなものであった。

・ものまね番組に欠かせないサプライズ演出「ご本人登場」の歴史
・クイズ番組、“初回放送の第1問目”の歴史
・女優・柴田理恵の「号泣」の歴史
・お笑いの“あるあるネタ”の歴史

 これのどこが“フジテレビらしい”のか? いや、少し既視感があるのだ。『バカせまい史』の番組コンセプトからは、90年代初頭に放送されていた深夜番組『カノッサの屈辱』(当時の流行や社会の兆候を、大学講義風に歴史の史実になぞらえて解説する歴史パロディ番組)と同じ匂いを感じる。

 ニッチな分野の情報を綿密に調査、それらを生かしつつバラエティ番組としてゴリゴリに作り込み、優良コンテンツに昇華させる手法は、往年のフジテレビの十八番だった。しかも、扱うテーマは「ものまね番組の『ご本人登場』」、「クイズ番組の“初回放送第1問目”」など、完全におっさんホイホイである。これは、注目せざるを得ない。

 事実、第2弾で取り上げた「ドロドロ昼ドラ“愛憎グルメ”史」は好事家を刺激し、大河内奈々子&小沢真珠が出演した昼ドラ『牡丹と薔薇』(フジテレビ系、2004年)が深夜枠で唐突に再放送されるという、奇妙かつ嬉しみのある結果へとつながっている。

コロッケにものまねを進言したのは美川憲一本人だった

 まずは、「ものまね番組のご本人登場」の歴史から振り返っていきたい。

“ものまね四天王”(コロッケ、清水アキラ、栗田貫一、ビジーフォー)を座長格に据えた番組『ものまね王座決定戦』(フジテレビ系)は1989年に全盛を迎え、視聴率20~30%超えを連発する人気番組へと成長した。まさに、世は“ものまねブーム”だったのだ。

 当時の映像を改めて見ると、感慨深い。まず、みんな若いのだ。特に、モト冬樹と研ナオコが今より数段若々しい。あと、審査員席にはすでにお亡くなりになった方々(淡谷のり子など)もいる。加えて、なんらかの事情で顔にボカシを入れられている芸能人(田代まさし、おすぎとピーコなど)も少なくない。

 そして、なんといってもセットが豪華だ。まさしく、制作費が潤沢だった時代のバラエティ。ステージを見ているだけで、テンションはグッと上がってしまう。

 今では当たり前となった「ご本人登場」も、当時は新鮮だった。同番組が最初に「ご本人登場」を行ったのは、今から33年前の89年。コロッケが美川憲一の代表曲「さそり座の女」を1コーラス歌い終えると、その背後から本物の美川が「さそり座の女」を歌いながら現れたのだ。コロッケが28歳、美川が42歳の頃の、衝撃のシーンである。

 コロッケの隣で自らの持ち歌を歌う、本物の美川。この瞬間、初めて気付いた事実がある。コロッケが披露した美川のものまねは、実はあまり似ていないのだ。でも、まるで問題ない。

 筆者は、このときの「ご本人登場」をリアルタイムで見ていた。まぎれもない当時の実感なのだが、ほとんどの視聴者……少なくとも若者(中高生)世代は、美川がどういう人なのかまったく把握していかったはずだ。元ネタ(実物の美川)を知らず、コロッケのものまねの方だけを見て笑っていた。

 “笑わせる”より“似せる”に注力する現代のものまね芸とは、ここが決定的に違う。似ていなくても……もっと言えば、本人を知らなくても、面白ければOKだった。というか、それこそが大正義だった。

 77年と84年、2度にわたって大麻取締法違反で逮捕された美川。当然、地上波への露出は激減した。89年当時、美川ははっきりと低迷していた。「週刊朝日」(朝日新聞出版)2018年12月14日号のインタビューで、美川が打ち明けている。

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キャバレーをまわり、どんな仕事も引き受けた。そんなとき美川はコロッケと出会う。実はコロッケに自分のものまねを勧めたのは、美川本人だった。

「コロッケのことは前から知っていて、88年に私の誕生パーティーに来てもらったの。そのころ彼は千昌夫とブルース・リーと、ちあきなおみしかレパートリーがなかったから『私をやんなさいよ』って言った。最初は『できませんよ、美川さんは難しいもん』って。
 でも、あるときテレビを見たら、お笑い番組でコロッケが私のものまねをしてるじゃない。手をたたいて笑ったわ。『なんていい子なの!』って。それで89年のお正月にコロッケとものまね番組に出演しないかと声がかかった。私はそのとき『おもしろいかもね』って思った」

――まねされた本人が番組に登場するのは初めての試み。ものまねをいやがる歌手も少なくないが、美川は好機ととらえた。持ち前の自己プロデュース力で「美川憲一」というキャラクターを作り上げていった。
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 今さらながら美川の策士ぶりに驚くし、やるつもりのなかったレパートリーを習得し、さらに美川本人を再ブレイクに導いたコロッケも凄すぎる。

 コロッケ&美川の二人三脚は、神がかったドラマである。要するに、「ご本人登場」のファーストインパクトは絶大だった。

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