円楽師匠の“腹黒”はなぜ誰もが知っている? 日曜の夕方に笑いと憂鬱を届ける「笑点」
#笑点 #檜山豊
6代目三遊亭円楽師匠が9月30日に肺がんの為死去された。
亡くなる約1カ月前の8月20日に高座に出演されたのが生前最後の高座出演となった。遡ること4年前、2018年に初期の肺がんであることを公表し、その後2019年に肺がんが再発と脳腫瘍、そして今年に入ってすぐ脳梗塞を患い、大事をとって夏ごろまで休養することを発表し、リハビリ生活を送っていた。そして病に倒れてから7カ月、夏ごろまで休養するという言葉通り、8月11日に国立演芸場で高座復帰を果たし「猫の皿」を披露した。
復帰高座では幕が上がると共に会場からは割れんばかりの拍手。止まない拍手に目頭が熱くなった円楽師匠は、手拭いで涙を拭きながら「ありがとうございます」と。その語り口調は全盛期のものではなく、脳梗塞の後遺症が出ているであろう口調だった。落語家というのは自分がお客さんに対してどういう表情をして、どういう喋り方をしているかを客観視するプロである。
そんな落語家の最高峰にいる円楽師匠はもちろん、自分の喋り方が通常のものでは無いと自覚しておりお客さんに対して「みっともなくていいから死ぬまでやります」と涙ながらに心内を明かした。そしてその2カ月後、円楽師匠は帰らぬ人となった。
今回は6代目三遊亭円楽師匠、そして笑点を元芸人目線で話していく。
我々世代にとっては「三遊亭円楽」という名前は笑点の司会を務めていた5代目三遊亭圓楽師匠のイメージが強く、6代目の円楽師匠は旧名「三遊亭楽太郎」の方が馴染み深いだろう。
他の落語家さんに比べると明らかに爽やかな見た目をしており、さらに青山学院大学法学部卒業ということもあり、その風貌もあいまってインテリ落語のはしりと言われていた。
27歳で「笑点」(日本テレビ系)に抜擢された円楽師匠はその、持ち前の毒のあるトークと腹黒というキャラクターで人気を博した。
今回、円楽師匠が亡くなった後SNSでは、出演していた「笑点」の映像やショート動画が複数投稿された。自分の親や祖父の世代の落語家の方々がふざけ合い、そして楽しそうに笑い合う。そんな映像を見るだけで心がほっこりし、それだけで幸せな気持ちになる。これは僕だけではなく、たぶん「笑点」を見ていたほとんどの人に言えることだろう。
その証拠に投稿された映像に対するコメントを見ると、老若男女問わず、様々な年代からのコメントが書き込まれており、円楽師匠、並びに「笑点」という番組はそれだけ全世代に愛されていたという証だ。
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