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『関ジャム』ユーミン特集後編!「レジェンドのその先」松任谷由実が“詠み人知らず”になるまで

『関ジャム』ユーミン特集後編!「レジェンドのその先」松任谷由実が詠み人知らずになるまでの画像1
『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)TVerより

 10月2日放送『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)は、松任谷由実特集の後半戦。識者からの質問にユーミン本人が回答する、90分超えのロングインタビューである。

 この日は『関ジャム』の放送直前にも『行列ができる法律相談所』(日本テレビ系)に出演していたユーミン。10月4日に『ユーミン万歳! ~松任谷由実50周年記念ベストアルバム~』が発売される、そのタイミングに合わせた今回の出演攻勢だ。

 記念すべき50周年だし、オリコンにおける「(ソロアーティストの)アルバム1位獲得作品数」「女性ソロアーティストのアルバム1位獲得最年長記録」(現在の記録もユーミンが保持)もかかっているだけに、プロモーションへの力の入れようはすごい。

夫・松任谷正隆との楽曲制作、主導権を握るのはどちらか?

 江崎文武(WONK)からは、夫、そしてプロデューサーである松任谷正隆との楽曲制作について質問が飛んだ。

――正隆さんと楽曲制作で揉めることはありますか?

「それはあります、しょっちゅう。でも、大抵私が折れちゃいますね」

――前回、(正隆さんが『関ジャム』に)出演されたときに「譲らないところもある」っておっしゃってましたけど、そんなこともないですか?

「私!? おぉ……。私が譲らない人なら、世の女性はもっと譲らないと思うんですけど(苦笑)。もう、譲り倒して50年ですよ(笑)」

 カーマニアとしてもおなじみの正隆氏。2015年1月17日放送『おぎやはぎの愛車遍歴』(BS日テレ)に出演した際、「好きな車を3台同時に持てればユーミンの奴隷になると神様に祈った」と彼は発言したが、実のところ、プロデューサーとしてユーミンを激しくダメ出し、叱責する氏の仕事のやり方は有名である。ユーミンが言うように、2人の楽曲制作は正隆氏の意見主導で行われているイメージだ。

 松任谷夫妻のように、音楽界では才能のある男女が惹かれ合って夫婦になるケースが多いように思う。山下達郎&竹内まりやがそうだし、2006年に離婚したが坂本龍一&矢野顕子もそうだった。

「ユーミン-松田聖子」にまつわる都市伝説は本当か?

 1972年、18歳の頃にシングル「返事はいらない」でデビューしたユーミン。ただ、作曲家活動はその前年の1971年からスタートさせている。

 というわけで、番組は職業作曲家としてのユーミンの提供曲を順番に紹介した。「『いちご白書』をもう一度」(バンバン)、「赤いスイートピー」(松田聖子)、「時をかける少女」(原田知世)、「瞳はダイアモンド」(松田聖子)、「Woman“Wの悲劇”より」(薬師丸ひろ子)など、あれもこれもユーミンの提供曲だ。

 特に、80年代はまさにユーミンの時代だったし、中でも「Wの悲劇」は呉田軽穂(ユーミンの作曲家としてのペンネーム)にとっての最高傑作だ。

 この流れで、ヒャダインからはこんな質問が。

「特に80年代以降、作詞家・作曲家としてのオファーが殺到していたと思います。実際、相当数の提供曲もありますが、そんな中、『松任谷由実』が自分で歌う意味はどこにあったのかお伺いしたいです。ユーミンは『ユーミン』をどう捉えていたのでしょう?」

 端的に言うと、ボーカリストとしての自分をどう捉えているのか? という質問だ。

「デビューの頃、『ひこうき雲』なんかはプロデューサーの村井(邦彦)さんから『これは自分で歌わないと表現できないよ』って言われて、嫌々歌うようになったくらいなんですけれど(笑)。まあ、今は感謝してますけどね。人前で歌うっていうのは向いてないと思ってたんですよ。だけど、だんだんライブをしているうちに、それはそれでの人格があるなと」(ユーミン)

 彼女の発言について、ユーミンのコンサートで音楽監督を務める音楽プロデューサーの武部聡志はこう考察した。

「たぶん、自分の声にコンプレックスを持っていたと思うんです、最初は。(中略)でも、『自分の声で歌ったほうがいいよ』って周りの人に言ってもらって、自分で歌ったところ、自分の声じゃなきゃ出ない世界っていうのが体感できたと思うんです」(武部)

 自身の声にコンプレックスを持つボーカリストは、意外に多い。地声が低いユーミンは、特にそうだったと思う。だから、彼女は作曲家志望だった。村井プロデューサーに「今は感謝している」と言った彼女の実感は、我々からしても同じだ。

 では、表に出る“スター”ではなく、職業作曲家としてのユーミンはどのように曲作りを行っているのだろう?

「歌う人の魅力的に聴こえるレンジを考えて作ります。ただね、松田聖子さんの『瞳はダイアモンド』のときは、ディレクターの方から『好きに作ってください』と言われたんです。今作りたいものを、聖子さんってことも考えずに。『瞳はダイアモンド』は、そんなわけで自由に作りましたね。なので、セルフカバーもしてます」(ユーミン)

 自身初のセルフ・カバー・アルバム『Yuming Compositions : FACES』に収録された、「瞳はダイアモンド」セルフ・カバー・ヴァージョン。聴き比べると、正直言ってオリジナルの松田聖子ヴァージョンのほうが圧倒的にいい。聖子ヴァージョンを聴くと瞳が潤んだ少女の姿が脳裏に思い浮かぶが、セルフコーラスを重ねたユーミンヴァージョンは単なる良曲なのだ。逆説的に、職業作曲家としての彼女の素晴らしさを物語っているようにも思う。

 蛇足だが、ユーミンが松田聖子について「印税返すから曲返せ! あんな変なアイドルに曲書かなきゃよかった」と発言したという都市伝説は有名である。これって、本当なのだろうか? 貴重なインタビューの機会だけに、その手の質問を本人にぶつけてもよかったように思う。

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