ユーミン特集『関ジャム』結婚後、人気急降下でも「荒井由実を超える!」モチベーションと復活
#音楽 #松任谷由実 #関ジャム
9月25日放送『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系)が行ったのは、松任谷由実の特集。10月4日に『ユーミン万歳! ~松任谷由実50周年記念ベストアルバム~』が発売されるので、そのタイミングに合わせての今回の企画だろう。
おかげさまで、たくさんの方にTVer配信ご覧頂いています?
明日よる11時30分から‼️#松任谷由実 特集 完結編をより楽しむために、大反響の前半を是非もう一度✨#武部聡志#ヒャダイン#江﨑文武 #WONK
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— 関ジャム完全燃SHOW【公式】(テレビ朝日系)@kanjam_tvasahi) October 1, 2022
当日、『関ジャム』放送後は他局の『Love music』(フジテレビ系)もユーミンを特集したし、10月4日放送『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)にもユーミンは出演する。新作、もしくは今回のようなベストアルバムを出すたび、レア感溢れる露出を解禁する彼女。ライバル・中島みゆきは一切そんなことをしないので、やはりコントラストはくっきりだ。
過去にも『関ジャム』はユーミン特集を行ったが、今回は本人に直撃する90分超えのロングインタビューである。
この日、スタジオにゲストとして登場したのは、音楽プロデューサーの武部聡志、ヒャダイン、江崎文武(WONK)の3人であった。「ファンが妄想で話を膨らませるくらいなら、夫・松任谷正隆を招けばいいのに……」と思いかけたが、この座組にはユーミンのコンサートで音楽監督を務める重要人物・武部がいる。
ユーミンの声で曲は不完全となり、切なさが増して心に痕を残す
ユーミンのヒストリーを振り返りながら、番組は進んでいくようだ。まずは、1972~1976年。デビューから改名前の“荒井由実時代”の軌跡である。
いきなり、1stアルバムが『ひこうき雲』だ。やはり、天才としか言いようがない。75年リリース「ルージュの伝言」には山下達郎がコーラス参加しているし、「COBALT HOUR」を弾く細野晴臣のベースはカッコよすぎる。75年リリース「あの日に帰りたい」のパフォーマンス映像には、ギターを弾く鈴木茂の姿も確認できた。ユーミン初のオリコンチャート1位を獲得した同曲。この時点で、彼女はまだ21歳である。
さらに注目したいのは、彼女の歌だ。正直、純粋な歌唱力として評価したら“下手”の部類だろう。しかし、この声だからこそのユーミンソングだと断言できる。彼女の歌によって曲は不完全となり、そのせいで増した切なさが、聴く者の心に痕を残す。他の歌い手がユーミンの楽曲を歌うと、「なんか、違う」という感想になるのは常。結局のところ、歌手は声の質だと思うのだ。ユーミンの声こそは、まさに唯一無二だ。
King Gnuの常田大希が選ぶ“荒井由実時代の名曲”は、「ひこうき雲」らしい。
「友人を亡くした経験が何度かあり、その喪失感をこの曲に救われたということがありまして、音楽の存在意義というものを強く感じた曲になりました」(常田)
「ひこうき雲」は、難病(筋ジストロフィー)を抱え、高校1年のときに亡くなった小学生時代の同級生を想い、ユーミンが書いた曲である。かつては、こんなふうに人間の死を題材にした曲は多かった。でも、今はかなりデリケートな扱いを受けており、最近のヒット曲の中ではかろうじてYOASOBIの「夜に駆ける」がそれにあたる。
普段見ているものに新たな価値をつけた名曲「中央フリーウェイ」
もともと、作曲家志望だったユーミン。彼女は曲作りをどのように行っているのか? どうやら、絶えず普段から「曲を作ろう」というモードでいるわけじゃないらしい。
「(自分は)ずーっとリスナーでもあるので、聴くのは大好きなんですよ。昨今はストリーミングですぐ聴けますけど。あの、主に洋楽ですが」(松任谷)
古くからユーミンは、特に自分と声質が似ているキャロル・キングを愛聴しており、他にローラ・ニーロやジョニ・ミッチェルといったソングライターたちからインスパイアを受けていた事実は有名だ。
「例えば、ネイルサロンに行くと、そこで変なチャンネルがかかってるんですよ、有線の。だっさ~いカントリーのチャンネルかなと思うと、ときどき、珠玉な誰も知らないような曲がかかってね。で、(店員の)お姉さんに控えてもらったりして。『すいませ~ん、(曲名を)メモしといてください』って。それで、随分お宝を見つけました」(松任谷)
美容院などでかかっている有線は、我々でも妙に気になることがある。それらの“珠玉な曲”を聴き、ユーミンはインスパイアされる……つまり、曲のフレーズを拝借することがあるのだろう。音楽とはそういうものである。
続いては、古田新太からこんな質問が。
「いろんな曲でおいらたち地方出身者に魔法をかけてくれるユーミンですが、まあ楽曲ですから当然なんですけど、『わざと勘違いしろ』と思って作っているんですか?」
例えば、ユーミンには「中央フリーウェイ」という76年発表の名曲がある。しかし、実際に中央自動車道を走るとガッカリする人は少なくない。決して、あの歌詞みたいな“キラキラした”光景ではないからだ。少なくとも、東京生まれの筆者にはキラキラして感じられなかった。つまり、ここに魔法が存在する。
「私自身が東京ど真ん中で生まれ育ったわけじゃなくて(ユーミンは東京都八王子市出身)、電車で郊外から都心に入っていくっていう学生時代で、すごくワクワク感があったんですよね。(中略)まず、第一のリスナーは自分ですから、自分がワクワクキラキラしないと、人はそう思ってくれないと思う」
――じゃあ、まさに「中央フリーウェイ」の歌詞っていうのは、それがキラキラな世界に見えていた?
「そうですね」
さて、ここからが重要だ。
「あと、アーティストの大事な使命だったりもしますね。そのアーティストの目を通して、普通の景色が違ったものになる。例えば、『ターナーが描くまでロンドンに霧はなかった』っていう言葉があるんだけど。ただ産業革命の煙だったけど、『霧のロンドン』というふうに見る人が思うとか。そのアーティストの目を通して、普段見ているものが違うものに見える。そして、記憶に刻まれるっていうことは、暮らしを豊かにすることだと思います」(松任谷)
オスカー・ワイルドの語録「ターナーが描くまでロンドンに霧はなかった」を引用したユーミン。美大出身の彼女らしい表現の仕方だと思う。つまり、アーティストが新たな価値を作るということだ。例えば、クリスマスを“恋人同士が愛し合う日”に変えたのは、ユーミンが80年に発表した「恋人がサンタクロース」だったと思うのだ。
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