偏差値は時代遅れ ― 入試に課題解決能力が求められる時代の“本当にいい大学”とは
#教育 #大学入試
偏差値消失の時代の“良い大学”とはなにか――?
偏差値の意味が消失することすなわち、入口で大学を評価することも意味をなさなくなる。そこでは新たに「良い大学とは何か」という問いも浮上してくるだろう。後藤氏は「これから先の時代の良い大学を問うためには、新しい時代の良い就職について考えてみるのがひとつの方法」とアドバイスする。
「これまでの価値観では、終身雇用で人生を支えてくれる企業に入ることが“良い就職”とされていました。偏差値教育はそれを叶えてくれる仕組みだったのです。ただ現代社会では終身雇用が幻想であることに学生たちも気づいており、求めてもいません。あくまで最初の就職はファーストキャリアに過ぎず、そこでは自らの成長を求めていると思います。
となれば、入りやすくて成長でき、かつセカンドキャリアに有利な会社に就職できる大学こそ良い大学と定義が転じていくでしょう。大学を評価する基準として出口偏差値をつくれれば良いですが、おそらくそれは不可能。進路や価値観は多様だからです。いずれにせよ、大学教育の質をきっちり評価する基準も必要になってくるでしょう」(後藤氏)
そもそも「大学進学そのものに対する価値観が今後は変化していくだろう」と後藤氏は付け加える。例えば、最近では高校時代に起業する学生も増えているが、ビジネスが成功していれば大学に行かずとも問題ないケースがでてくるだろう。また起業に失敗した後に大学に入りなおすなど、高校新卒で大学に行くという選択肢が普通ではなくなる可能性もある。健康寿命が延び、企業の寿命が短くなるような社会にあっては、大学進学に対する多様な考え方が生まれてくるはずだ。そういう意味でも、「良い大学すなわち自分を成長させてくれる場所」という価値観が強まると後藤氏は分析する。
昨今、インターネット上で炎上したFラン記事騒動は、そんな時代の過渡期にあって、注目を集める方法に窮した大学関連ビジネス関係者の、最後の悪あがきなのかもしれない。少子化や全入化が進むなか、関連ビジネスは斜陽であるという分析が巷に溢れている。「Fランという言葉で不安を煽るのは断末魔」(後藤氏)であり、実際にビジネスが成立しなくなってきた証拠ともとれる。
「その場で何とかする力や課題解決能力を養うためには、まず意欲です。言い換えれば好奇心です。知的じゃなくてもいい。面白いと思うものにのめり込めるかどうか。その没入から探究が始まります。高校生の皆さんには、時間を忘れて没入できる“何か”、つまり探究のタネをみつけて欲しいと思います」(後藤)
偏差値や大学のランクにこだわり続けることはもはや時代遅れ――。昨今の大学入試事情に鑑みれば、そう一蹴することは容易い。しかし、それに代わる能力の定義や評価する仕組みが一般化しなければ、言葉の呪縛から本当の意味で逃れることもまた難しいのかもしれない。
後藤健夫(ごとう・たけお)
教育ジャーナリスト・大学コンサルタント。河合塾職員を経て独立。大学等でのAO入試開発や入試分析・設計など大学コンサルタントとして活動。早稲田大学法科大学院設立にも参画。高等教育や大学入試に関連した記事を執筆している。
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