トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > エンタメ > アイドル  > 4人が特別である理由
ジャニヲタおじさんのアイドル公論:永遠のアイドル

男闘呼組再結成、“ジャニヲタおじさん”にとって4人が特別である理由

──ジャニーズを愛するおじさんが考える、アイドルと世相のあれこれ。

男闘呼組再結成、ジャニヲタおじさんにとって4人が特別である理由の画像1
公式サイト「男闘呼組 1988」より

 私は普段、多くのジャニーズのアイドルを追いかけています。しかし、昭和49年(1974年)生まれの私にとって、そのほとんどは私が大人になってから出会った人たちです。もちろん、今まさに活躍しているアイドルである彼らは、私が精一杯応援したいと思える存在であり、尊敬もしています。しかし私にとって、彼らが憧れの存在かと言われれば、少し違うように思います。その中で私には、多くのアイドルとは違う意味を持った、憧れの存在と言えるアイドルが存在します。私にとって永遠のアイドル、それが男闘呼組です。

 2022年7月16日、その男闘呼組が29年ぶりに復活しました。この日放送された音楽特番「音楽の日」(TBS)で、高橋和也、成田昭次、岡本健一、前田耕陽のオリジナルメンバー4人が揃って、「TIME ZONE」「DAYBREAK」という往年のヒット曲を2曲と、成田昭次のソロ曲「パズル」を披露しました。

 29年という年月を経て、4人が揃ってテレビに映って演奏している、その事実だけで私は胸がいっぱいになりました。放送当日にサプライズとして番組出演が発表された瞬間、突然の発表ということもあり、随分と散らかった気持ちになったように思います。これまでの4人の歩みを考えると、今こうしてまた男闘呼組が見られること自体が、にわかに信じられない気持ちもありました。一方で、前年に岡本健一くんがジャニーズ事務所との専属契約を終了し、エージェント契約を新たに結んだことで、あるいは男闘呼組の再結成があるのでは、とひそかに期待もしていました。ですから、ついにこの時が来た、という思いもありました。男闘呼組は、私にそれだけ特別な感情を抱かせるグループでした。

 私が男闘呼組を初めて知ったのは、今から34年前、1988年のことでした。当時妹が前年の1987年にデビューした光GENJIに夢中で、家のリビングにあるVHSのビデオデッキを占有して、ビデオ「少年武道館~少年御三家新春一番歌いぞめ~」を昼夜問わず延々と流していました。佐藤敦啓くん(現・佐藤アツヒロ)のアップのシーンを、ビデオデッキが壊れるんじゃないかと思うくらい巻き戻しては繰り返し再生する妹に文句を言いつつ、光GENJIの「STAR LIGHT」が始まる前に現れる4人組のバンド、男闘呼組が次第に気になるようになっていきました。気がつけば、「STAR LIGHT」の前にある、男闘呼組のリハーサル風景から「ROLLIN’ IN THE DARK」までを、妹の目を盗んでは繰り返し再生するようになりました。

 中でも私は、成田昭次くんが一番のお気に入りでした。黒いヤマハのギターを弾きながら、ハスキーなハイトーンボイスで歌う姿に、猛烈に憧れました。彼が歌う「不良」という歌が大好きで、どこかミステリアスで、尖っているけどナイーブなその雰囲気に、特別な魅力を感じていたようにも思います。 そして、13歳の私はギターを始めました。本当は成田くんと同じヤマハのRGXというギターが欲しかったのですが、当時新品のギターを買う余裕がなく、近所のリサイクルショップでたまたま見かけたヤマハのSESSION IIという同じストラトキャスタータイプのギターを、お年玉をつぎ込んで買いました。機種はともかく、成田くんと同じヤマハの黒いギターを弾いているというだけで、なんだか自分が武道館に立つ成田くんに近づいたような、そんな気持ちになりました。

 その年88年には、4人の主演映画「ロックよ、静かに流れよ」が公開され、満を持して8月に「DAYBREAK」でデビューを果たします。もちろん、映画も見に行きましたし、「DAYBREAK」は当時では珍しい4形態のCDシングルを全種類購入しました。男闘呼組が出演するテレビ番組は欠かさず見ました。私は手先が不器用ながら成田くんのギターソロを練習し、変声期の早かった声で必死に成田くんのハイトーンな歌声を真似しました。成田くんのようにギターが弾きたい、成田くんのように歌いたい、成田くんのようにカッコよくなりたい。私にとって成田昭次という人は、アイドルであり、最初のギターヒーローと呼べる人でした。

 一方で、シングル曲をヒットさせてテレビ番組で歌う男闘呼組と、彼らがリリースしたアルバムとの間には、ギャップを子供ながらに感じていました。もちろん「DAYBREAK」や「TIME ZONE」、そして初期の代表曲を一手に手掛けてきたMark Davisこと馬飼野康二さんの楽曲も、洗練されていて大好きでした。ただアルバムには、メンバー自ら作曲した楽曲があり、時にアイドルらしからぬワードセンスの歌詞も多く見られました。それらのアルバム曲には、もっと自分はこうしたい、自分らしくありたいという意志がアイドルの枠からはみ出しそうなくらいに溢れていました。それはもしかしたら、純粋にアイドルとしての彼らを求めるファンを遠ざけるものだったかもしれません。ただ、ジャニーズとしてデビューした彼らが、アイドルであることに反抗しながら自由を求めていく姿は、矛盾を抱えながらも、逆に男闘呼組というグループにしかない魅力があるように、当時の私は感じていました。

 デビューから5年後の1993年、男闘呼組の活動は突然終了します。当時はアイドル業界自体が下火になっている状況で、大学生になった私の興味も数多くのロックバンドに向いていた頃でした。ただ、こういう表現が適切か微妙ですが、何となくこうなるべくしてなったというか、仕方ないなと直感的に思ったのを、今でもよく覚えています。私がギターを始めるきっかけになったグループが寂しい最後を迎えたことは、私の中で少年期が終わりを告げたような、今振り返るとそういう感覚に陥ったように思いました。

 解散以降、岡本くん以外はジャニーズ事務所を飛び出して、それぞれで活動をしていました。成田くん以外の3人はそれぞれ、役者やタレントとして、テレビで見かけることがありましたが、成田くんは音楽の道へと進み、明確にその後の彼を追いかけている人でなければ、なかなか目に触れる機会のない、そんな時期が続き、私も熱心に追うことができなくなってしまいました。そして、悪い知らせが流れて以降、10年近く消息のわからない日々が続きました。いろんな意味で、再結成は難しいというか、現実味が全く感じられませんでした。だからこそ、解散から29年後、私の前に男闘呼組が帰ってきた事実を、今でも奇跡のように感じるのです。

12
ページ上部へ戻る

配給映画