安倍元首相国葬を岸田首相に進言した“ブレーン”の差別発言と統一教会擁護
#週刊誌スクープ大賞
「新潮45」廃刊させた小川榮太郎と安倍元首相の国葬
ところで、安倍元首相を除けば、統一教会と一番近い政治家は誰なのだろうか。
安倍の子飼いの萩生田光一が近いのは間違いない。だが、先週、文春が報じた下村博文も、統一教会の陳情していた法案を2つも衆院選と参院選の公約にしてしまったというのだから、こちらのほうが萩生田よりも近いのかもしれない。
下村側は、統一教会がいってくる前から、それらは公約に入れていたと反論しているが、統一教会側は何年も前から「陳情」していたといっているのだ。反論にはならないのではないか。
文春にお願いしたい。統一教会が陳情していた、「家庭教育支援法」と「青少年健全育成基本法」は、自民党の法案と、どこが違っていて、どこが類似しているのかをわかりやすく解説してくれないだろうか。読者は知りたがっているはずだ。
それにしても、統一教会問題を追及していたジャーナリストの有田芳生が2009年に、下村の選挙区で出馬し、厳しい選挙を強いられたとはいえ、有田の宿敵である統一教会の力を借りたとすれば、下村という政治家の品性を疑う。
統一教会は改名したいのに認めてこなかった文科省が、下村が大臣になったらスルッと通ってしまったのも、彼と教会との強いつながりを示すものであろう。
岸田首相は、国葬が終わったら、すぐに、統一教会一掃解散を考えたほうがいい。そうでなくては、政権は持たない。やらなくても持たないだろうが。
さて、読者は小川栄太郎という人間を覚えておいでだろうか。
この人物を紹介するのもうっとうしいので、適菜収がBEST TIMES(2018.10.02)に書いた記事「『新潮45』廃刊の真相と小川榮太郎氏の正体とは(前編)」から、文章を引用させていただく。
〈歴史あるノンフィクション雑誌『新潮45』が廃刊になった。私も長年にわたり愛読していたし、連載執筆陣の一人でもあった。
原因は文芸評論家を自称する小川榮太郎という男(51歳)が描いたトンデモ記事が誌面に掲載され、社会問題になったからだ。一連の経緯を簡単に説明しておこう。『新潮45』(2018年8月号)に自民党衆院議員の杉田水脈が「『LGBT』支援の度が過ぎる」という文章を寄稿。LGBTとは、Lesbian(レズビアン)、Gay(ゲイ)、Bisexual(バイセクシュアル)、Transgender(トランスジェンダー)の頭文字によりつくられた言葉である。杉田の「LGBTのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子どもを作らない、つまり生産性がないのです」といった部分が批判を浴びていたが、『新潮45』(2018年10月号)は、こうした批判への回答として「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と題する特集を組んだ。
批判を浴びた雑誌が反論の特集を組むことはめずらしくない。また、反論により議論が深まることは社会にとっても有益だ。たとえそれが社会通念に反するものであれ、あらゆる言論は尊重されるべきだ。
しかし、今回小川が書いたのは言論ではない。作家の高橋源一郎が言うように「便所の落書き」である。だからこそ、小川を擁護する声が仲間内からもほとんど出なかったのだ。新潮社もこの記事を問題視。新潮社の文芸書編集部は、Twitterの公式アカウントに新潮社の創立者である佐藤義亮の言葉「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」を掲げ、小川を批判するツイートを次々とリツイートした。私が連投したツイートもリツイートしていただいた。
2018年9月21日、新潮社の佐藤隆信社長は「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられた」と談話を発表。9月25日、編集体制の不備を理由に休刊(事実上の廃刊)が発表された〉
つまり、『新潮45』という由緒ある雑誌に「便所の落書き」のようなものを書き、潰してしまった人間なのだが、そんな人物が、岸田首相に直電をかけ、安倍元首相を国葬することを進言し、岸田もそれにこたえて国葬にすることを決めたと、文春が報じているのだ。
そんなバカなことがあるはずはない。彼が自分でいっているだけだろう。そうは思うが、安倍元首相の亡霊に取りつかれたような岸田を見ていると、一抹の不安が残るのだが。
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