藤波辰爾が37年ぶりに迷曲「マッチョ・ドラゴン」熱唱、笑いながら感動させられた“受けの美学”
#音楽 #プロレス #NHK
「マッチョ・ドラゴン」で爆笑するつもりが感動していた
「当時を思い出して今、すごいドキドキです。37年ぶりに歌うってなると(笑)」(藤波)
謎の緊張感が藤波と視聴者を包む。見ているこっちも、なんだか汗ばんできた。この日、藤波の歌を聴くためにプロレスファンは一日を懸命に過ごしたと言っても過言ではないのだ。85年12月12日(前述のIWGPタッグリーグ優勝戦)、猪木に決めたのを最後に封印されたドラゴンスープレックス並みに「マッチョ・ドラゴン」も幻扱いだ。
さあ、ついに藤波のパフォーマンスが始まった。MVと同じようにバックダンサーが付き、バンドの演奏はカッコ良くアレンジされている。改めて聴くと、何気にリズムが取りにくいナンバーだ。こんな難曲をドラゴンは与えられていたのか。
「いなぁ~づぅまがやみをさ~いてー お~れをよんでるー あ~くとちらすひ~ばな~ しかくいじゃんぐるをー まっかにそめーてやるー」
「大事故になる?」とドキドキしていたが、明らかに藤波は37年前より歌が上手くなっていた。もっと、昔は声が高かった。そこが「マイクを持つと小学生」と笑われる所以でもあった。でも、歳を重ねて藤波のキーは下がった。結果、それが68歳の意外な渋みにつながっている。
もちろん、決して完璧とは言える出来ではなかった。例えば、入りの「いなぁ~づぅま」の部分。ここで、藤波は少しタイミングが出遅れたのだ。逆に言えば、彼は間違いなく口パクをしていない。撮り直してもいいはずなのに、そのまま流したのも良かった。
何より、一生懸命歌う姿に藤波の人柄が表れていた。サビの「マッチョドラゴン♪」の箇所は、曲に合わせて本人も口を動かしていたし、真面目でストイックな性分はそこかしこから伝わってきた。
本音を言えば、当初は爆笑するつもりでいた。でも、藤波の真摯な姿を見て筆者は己の気持ちを悔いた。50年のプロレス人生を背負ったドラゴンの歌声である。年輪を重ねた男の哀愁が加わり、ストレートに心に沁みたのだ。
実は、「この企画はテレ朝がやるべきでは?」とも最初は思っていた。でも、結果的にNHKでよかった。もし民放が取り上げたら、『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)の「歌へた王座決定戦スペシャル」的ないじられ方をされた気がするからだ。
藤波も、「マッチョ・ドラゴン」制作に関わった人たちも、みんなこの曲にプライドを持っていた。藤波も堂々と精一杯歌ったし、作詞家も編曲者も「マッチョ・ドラゴン」を黒歴史にしていなかった。
スポニチアネックスの記事(9月8日配信)に、37年ぶりの生歌を決意した藤波の裏話が明かされている。以下は、『1オクターブ上の音楽会』の制作統括・相部任宏氏の談だ。
「藤波さんは楽曲発表時の経緯もあり、当初は(出演を)大変悩まれていたが、ご長男のLEONAさん(プロレスラー)の後押しや、今年がデビュー50周年の節目ということもあり『ファンへの感謝のしるし』としてご快諾に至った」(相部氏)
デイリースポーツonline(9月8日配信)によると、実は藤波は出演オファーを1度断っているらしい。しかし、「変なものじゃないなと。ちゃんと『マッチョ・ドラゴン』を紹介してくれる」(藤波)と理解を示し、出演を受諾したそうなのだ。相部氏は、番組を作るうえでの心構えを以下のように語っている。
「その人が何十年の歳月を経て、そこに立って、その曲を歌うことを大事にしたかった。出演していただいたみなさんの楽しさと緊張が同居する最高の収録になった」(「スポニチアネックス」9月8日より)
なにしろ、37年ぶりの「マッチョ・ドラゴン」解禁だ。今回の収録について、藤波は「猪木さんとの60分フルタイム(88年8月8日、横浜文化体育館での猪木とのシングルマッチ)より疲れた」(「デイリースポーツonline」9月8日より)とコメントしている。
かつて、本人にとっては地雷だった「マッチョ・ドラゴン」。しかし今回、歌い終えた藤波は満面の“ドラゴンスマイル”を浮かべていた。相手のすべてを受け止め、耐え抜いた末に逆転の3カウントを奪う彼の“受けの美学”を象徴するかのような歌唱だったと思う。まるで、リング上の勇姿そのままだったのだ。
藤波の人間性とファイトスタイル、そして番組制作者の熱意によって行き着いた結果だ。37年ぶりの「マッチョ・ドラゴン」に、筆者は笑いながら感動していた。
おそらく、毎週の放送は厳しいと思う。ネタ切れが心配だからだ。ならば、改編期の特番という形でもいい。この番組、まだまだ続いてほしい。
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