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エリザベス女王と面会しなかった米大統領…意外な真相を描いたネトフリ「ザ・クラウン」

エリザベス女王逝去後、劇的に急増した視聴率

 以下、ドラマに沿う形で当時の様子を記述する。

 こじれてしまった英米関係の修復には、何よりもジョンソン大統領の機嫌を取ることが必要と考えたウィルソン首相はエリザベス女王に協力を依頼する。
 先に英国を訪問しているケネディ大統領以上のもてなしでジョンソン大統領を迎えれば考え直してくれると考えたエリザベス女王は、ジョンソン大統領夫妻を北部スコットランドのバルモラル城の狩りに招待する。

 バルモラル城は英王室の離宮で女王と夫のフィリップ殿下は生前、毎年夏はこの避暑地で過ごした。8日に崩御した女王が最後に息を引き取ったのもこの城だった。女王にとっては思い入れのある城と同時にプライベートな空間だった。バルモラル城への招待は英王室としては最大限の敬意であり破格の待遇だった。

 それでもジョンソン大統領は飛行機と電車による長旅と、経済援助を米国から得たいとする英国の見え透いた申し出に嫌気がさし返答を渋る。

 ただ、英女王からの招待を返答もせず、そのままにしておくことはできない。ジョンソンとホワイトハウスが目をつけたのが、ちょうど米国を訪問中のエリザベス女王の妹、マーガレット王女と写真家で夫のアンソニー・アームストロング=ジョーンズ(スノードン伯爵)だった。

 ジョンソン大統領は女王のバルモラル城の狩りへの招待には返答せず、マーガレット王女をホワイトハウスに招待することを申し出る。

エリザベス女王と面会しなかった米大統領…ネトフリ「ザ・クラウン」で描かれた意外な真相の画像2
1965年11月7日、米ワシントンD.C.のホワイトハウスで行われた晩餐会で談笑するマーガレット王女(右から2人目)とジョンソン大統領(右端)

 1965年11月7日、マーガレット王女は夫のスノードン伯爵とともにホワイトハウスで午後8時から催された晩餐会に招待された。

……ドラマでは飲めや、歌え、踊れの無礼講な宴会が朝の4時まで続き、伝統に囚われない自由奔放なマーガレット王女にすっかり魅了されたジョンソン大統領は機嫌を直し、英国への経済援助を決めたことになっている。
 
『ザ・クラウン』は史実に基づき制作されたことになっているが所詮、ドラマはドラマでしかない。ジョンソン大統領とマーガレット王女との間に実際にどんなやり取りがあったか、ドラマで描かれた晩餐会の破茶滅茶ぶりも実際は、どうだったのかは知る術もない。だた、当時の英米関係はベトナム戦争への対応を巡り、確かに緊張していた。

 8日のエリザベス女王の崩御後、『ザ・クラウン』の視聴率が劇的に増加しているという。9月14日配信の「Harper’s BAZAAR(ハーパーズバザー)」の記事によると、週末の視聴者数は対前週末比で800%アップした。米国では視聴者数が4倍以上、フランスでも3倍に増えたという。

 日本も似たり寄ったりの数字だろう。私も女王の逝去後、再び見始めた。

 

 

本田路晴(ジャーナリスト)

連邦海外腐敗行為防止法 (FCPA) に関する調査、ホワイトカラー犯罪の訴訟における証拠収集やアセットトレーシングなどの調査・分析を手掛ける米調査会社の日本代表を経て現在は独立系コンサルタント。新聞社特派員として1997年8月から2002年7月までカンボジア・プノンペンとインドネシア・ジャカルタに駐在。その後もラオス、シンガポール、ベトナムで暮らす。東南アジア滞在歴は足掛け10年。

ほんだみちはる

最終更新:2022/09/20 11:31
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