オジンオズボーン高松 “本場のお笑いに憧れ大阪弁を会得した芸人”が引退する今のお笑い
#解散 #檜山豊
高松がほしかったのはアドバイスではなく「いっしょにやろう」?
高松さんは5年前に篠宮さんに「しんどい」とSOSを出し、その時に篠宮さんは「YouTubeでもやってみれば」というアドバイスを与えた。このやり取りが高松さんの辞めたいという気持ちを加速させてしまったのではないだろうか。
これは憶測だが、当時の高松さんは文字通り助けて欲しくてSOSを出した。そこで篠宮さんはアドバイスをするという方法を選んだ。普通ならアドバイスでも十分ありがたいのだが、高松さんにとって助けにはならなかった。篠宮さんは高松さんのことを「努力する人間ではないし、自分で何かを起こそう、この状況を打破しようとする人間ではない」と言っており、これをそのまま受け取ると、高松さんは0から1を生みだすことができない人間だ。そんな人間に「YouTubeでもやってみれば」というアドバイスは何の助けにもならない。
芸人を辞めて芸人というものを客観的に見てわかったのだが、0から1を生みだすというのは一種の才能であり、ネタを作るのが当たり前の芸人の中でも、この才能を持っていない人間がいる。この才能は練習したり鍛えたりすればある程度身につくものなのだが、「ある程度」で許されないのがプロの世界だ。
その世界に身を置いて自分はその才能を持っていないと気づいた高松さんは、篠宮さんに手を引っ張ってもらうしか現状を打破できないと思ったのだ。
「YouTubeでもやってみれば」というアドバイスは、言い換えれば「何かを生みだしてみたら」となってしまう。そのアドバイスでは、立ち止まってしまった高松さんの足を動かすことはできなかった。「じゃあこういうことを一緒にやろう」と言ってほしかったはず。これは甘えでもなんでもない。コンビとはそういうものなのだ。長年連れ添ってきたがゆえの微妙な距離感が弊害となり、すれ違ってしまったのだろう。
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