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稲田豊史の「さよならシネマ 〜この映画のココだけ言いたい〜」

『川っぺりムコリッタ』、一見スローライフ映画から漂う死の香り

鮮と腐、生と死

『川っぺりムコリッタ』、一見スローライフ映画に同居する「鮮―生」と「腐―死」の画像2
© 2021「川っぺりムコリッタ」製作委員会

 前置きが長くなった。そんな荻上の最新作が『川っぺりムコリッタ』である。宣伝コピーは「『かもめ食堂』の荻上直子が贈る、『おいしい食』と『ささやかなシアワセ』」。メインビジュアルでは、4人の俳優たちが河原でゆるい笑顔を浮かべている。予告編では彼らが美味しそうにすき焼き鍋をつついたり、主演の松山ケンイチが炊きたてご飯の湯気を胸いっぱいに吸い込んだりと、いかにも『かもめ食堂』イメージ推しの「食で癒やされ映画」だ。

 しかし本作は、そんなほっこり和みイメージとは裏腹に、実に鋭利で野心的である。決して「癒し系スローライフ映画」ではない。

 舞台は北陸の某所にある安アパート「ハイツムコリッタ」。刑務所から出所した山田(松山ケンイチ)が身一つでこの地を訪れ、イカの塩辛工場で働き始める。大家の南(満島ひかり)はシングルマザー。隣人の島田(ムロツヨシ)は家庭菜園で野菜を育てる不思議な中年。溝口(吉岡秀隆)は息子と二人暮らし。

『川っぺりムコリッタ』、一見スローライフ映画に同居する「鮮―生」と「腐―死」の画像3
© 2021「川っぺりムコリッタ」製作委員会

 ある土地を訪れた主人公がそこの住人たちによって心を解きほぐされるという物語構造は、『かもめ食堂』や『めがね』に似ている。しかしその2作にはまったくなかった要素が本作にはある。

 「鮮―生」と「腐―死」の並列配置だ。

 隣人の島田が山田のもとにたびたび差し入れる採れたての新鮮野菜は、紛れもなく「生」の象徴。その「鮮」は、山田が風呂に入り、冷たい牛乳を飲み、炊きたてご飯にイカの塩辛を乗せて美味しそうに頬張るという、「生」の喜びに満ちあふれた一連の行動に、しっかりと組み込まれる。住人たちが嬉々として囲むすき焼きの場面では、牛肉の赤が「鮮」やかで美しい。

 一方で、「死」の象徴たる「腐」も容赦なく画面に映り込む。

 山田が父親の死を知った場面では、イカの塩辛と質感が酷似したナメクジにカメラが向けられ、その後は腐乱死体に湧いた無数のウジもインサートされる。山田がその死体について「ウジにたかられてドロドロ」と説明する瞬間に映るのは、島田が食べようとしている山盛りのイカの塩辛。そのイカの塩辛工場では大量のイカの目玉が大写しになり、「死んだイカを加工している」グロテスクさがあえて強調される。

『川っぺりムコリッタ』、一見スローライフ映画に同居する「鮮―生」と「腐―死」の画像4
© 2021「川っぺりムコリッタ」製作委員会

 また、登場人物の中で「食べる幸せ」を率先して体現するのは野菜によって「鮮」をもたらす島田だが、その島田はあるシーンで嘔吐する。「吐く」は「食べる」の対立概念であり、吐瀉物が想起させるのは「腐」に他ならない。

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