千原ジュニアと小籔千豊が一触即発、90年代の2丁目劇場のヒリついた空気感
#千原ジュニア #関西バラエティ番組事件簿 #田辺ユウキ
殺伐さを受け継いだ、中川家、笑い飯、千鳥、麒麟
たしかに1990年代後半から2000年代の大阪の若手芸人たちには、そういったギラつきがあったと聞く。
なかでも中川家は、駆け出しのときに心斎橋筋2丁目劇場の舞台に立ってその、殺伐としたムードを味わっていたこともあってか、千原兄弟らの東京進出後はかなり厳しい態度で若手たちと接していた。筆者が2021年、笑い飯にインタビューをおこなった際、哲夫も「僕らの若手時代は中川家の礼二さんが怖かった」と語っていたほど。笑い飯が若手時代、賞レース後に松竹所属(当時)のチョップリンと飲んでいたとき、礼二と黒田有(メッセンジャー)がやって来て「よその事務所の芸人と飲むな。その準優勝のトロフィーを道頓堀川に捨てろ」と言われたのは有名な話だ。
そういった“伝統”を受け継いだのが、まさに笑い飯であり、千鳥や麒麟らである。笑い飯は、おもしろいと感じないものが一切認めてこなかった。NON STYLEのことを酷評し、「不仲」が伝えられていた。
また、筆者がトキ(藤崎マーケット)へインタビューしたとき、彼は「笑い飯さんや千鳥さんがトップだったときのbaseよしもとの時代に戻りたくない。おもしろくなければ人にあらずんば、という空気が本当に怖かった」と思い返していた。笑い飯、千鳥は日常生活のなかでも、何かを見つけるとその場で「おもしろいことをやってやろう」と、大喜利状態になったという。四六時中、笑いに没頭していたのだ。
それはまさに、ジュニアが小籔らに仕掛けた“お笑いのストリートファイト”と同様のもの。『マルコポロリ!』では、ジュニア、ケンコバらが、酔いつぶれて倒れた陣内智則を見て、救急車が来るまでの間「(この光景に)おもしろいタイトルをつける」ということをやっていたことも明かされた。笑いに対して度を超えており、怖さすら感じるエピソードである。
笑い飯・西田「どんなときでも刺激が欲しい」
笑い飯の西田幸治は、現在でも『M-1』のような刺激的な場所を求めていると話していた。「劇場だろうがテレビだろうが、どんなときでも刺激が欲しい。後輩に負けたくない気持ちがある。いつまでも『あの人はおもろい』と言われたいから」と笑みを一切浮かべず語っていたのが印象的だった。
そういった面々だからこそ、ベテランになってもなお『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)、『人志松本のすべらない話』(フジテレビ系)、『千原ジュニアの座王』(カンテレ)といったバトル形式やそれに近いスタイルの番組に出て、「誰が一番おもしろいか」を決めるような笑いに挑んでいるのではないか。彼らは“血”に飢えているのだ。
今年も『M-1』や『キングオブコント』など、ビッグな賞レースのシーズンがやって来る。新たなスターが誕生することになるだろう。ただそこで勝ち上がった先には、ジュニアらのような1990年代に“ストリートファイト”でのし上がってきた芸人たちが、「誰が一番おもろいか決めようや」と拳を鳴らして待ち受けている。
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