旧統一教会への弱腰報道のなぜ──朝日新聞が暴露恐れる“宴席”の内容
#朝日新聞 #週刊誌スクープ大賞 #旧統一教会
朝日新聞の“異常”──なぜ「旧統一教会」の名を掲載しなかったのか?
第2位は、文春の朝日新聞が統一教会に怯えているのではないかという記事である。
そんな“風評”が飛び交うのも理由がある。
7月8日、安倍晋三元首相暗殺事件が起きて、山上徹也容疑者の動機が宗教団体への恨みであると警察情報が伝えられると、ネットではすぐにその宗教団体が「統一教会」だと指摘された。
他のメディアも次々に報じ始めたのに、朝日新聞の紙面に統一教会が登場するのは7月12日である。
ようやく社説で取り上げたのが7月22日。「旧統一教会 政治との関わり解明を」が掲載されるが、
「選挙活動の組織的支援や政策への介入など、教団と政界の関係は種々取りざたされる。岸信介元首相以来の付き合いといわれる自民をはじめ、各党・各議員は自ら調査し、結果を国民に明らかにする必要がある。
入信した本人、親族、いわゆる2世信者など、苦悩を抱える人は少なくない。問題の放置が被害を深刻化させてきた。支援の手をどう差し伸べていくか、社会が直面する重要な課題だ」と生温い。
元朝日新聞記者の小森敦司がこうツイートしている。
《朝日新聞の声欄。8月1日から5日までの朝刊をチェックしたけど、統一教会をめぐる投書が一つも掲載されてない。たくさん寄せられていると思うのだけど、どうなっているんだろ》
内田樹も、
《今の紙面を見て「じゃあ、これから朝日新聞を購読しよう」と思う人がいるでしょうか?政権翼賛記事を読みたいなら産経を読むし、政権批判を読みたいなら日刊ゲンダイを読むし、まともな報道を読みたければNew York Times かGuardian の電子版を読む。朝日より安いし。》
元テレビ東京の青木俊は、
《日テレとTBSがなぜ偉いか? それはどんな報復が自民から来るか、カルトから来るか、わからない段階で、「やる」を決断し実行したからですよ。怖くなかったわけがない。そこを乗り越えて世論の先陣を切るのが報道機関の存在価値です。「安全なら僕もやろ」の朝日はカスです。》
ツイッター上に「#さよなら朝日」というハッシュタグまでが拡散し、朝日から他紙に乗り替える人が続出しているらしいのである。
文春は、その理由を、1987年に起きた「朝日新聞阪神支局襲撃事件」にあるというのである。
脅迫文を送ってきた「赤報隊」と名乗る連中は、文面から新右翼と呼ばれる人間ではないかと思われたが、それとは別に、犯人と思われた集団がいた。
当時激しい統一教会批判を繰り広げていたのは、筑紫哲也編集長の朝日ジャーナルだった。霊感商法と名付けたのも同誌である。
襲撃から2日後、朝日新聞東京本社に新たな脅迫状が届く。
「とういつきょうかいのわるくちをいうやつは みなごろしだ」
封筒の中には脅迫状と共に散弾銃の使用済み薬莢が2つ入っていた。
記者時代、赤報隊を追いかけていた樋田毅記者は、迫力ある筆致で取材の内幕を書いた『記者襲撃』(岩波書店)をものにしたが、彼はこのことを、
「脅迫状が送られた時点で、襲撃の際に使われた散弾の種類はまだ公表されていませんでしたが、同種のものでした」
と語っている。
樋田は、
「当時、統一教会は全国に二十六店ものエアガンを販売する銃砲店を構えていた。教団の信者で、事件までに射撃選手として国体に出場したこともある人物が五人いたことも分かっていました。
元選手が店員を務めたこともある和歌山の店舗に行くと、信者と思しき従業員が、空気銃を渡して丁寧に撃ち方を教えてくれた。『もしやこの男が』と思い、冷や汗が流れました」
と語っている。
樋田が国際勝共連合の取材を進めると、連合内に秘密軍事部隊があったという証言にたどり着いた。
「部隊に所属した複数の元信者などによれば、国内で尾行、偵察の訓練や元自衛官の信者を教官とした射撃訓練が行われていたそうです。後に再取材したところ、証言を翻されてしまった。しかし教団元幹部によれば、文鮮明などの身辺警護をするグループは実在しており、その関連で訓練が行われていた可能性もあると考えています」(樋田)
しかし、記者たちが地を這うような取材を続けている間に、社の幹部たちは驚くべき裏切り行為をしていたのだ。
1988年6月、東京本社の社会部遊軍キャップから取材班のもとへ、「取扱注意」と書かれた社会部長への聞き取りメモが持ち込まれたという。
樋田の本にはこうある。
「世界日報からの申し出で、同社の社長、編集局長、論説委員らと、朝日新聞の広報役員、編集局次長が二月(もしくは三月)と五月の計二回宴席を設けた。その席で、世界日報側から『もう手打ちをしようじゃないですか』と持ち掛けられた。(それに対して朝日新聞側は)『そうは言っても……』、『霊感商法なんか、やめたらどうか。儲からんでしょう』と答えた。メモを作ったキャップに対し、社会部長は社として手打ちをしたという事実はないと断言した」
この記述について文春が樋田に聞くと、
「十分に裏付けを取った内容です」
と答えた。
樋田は、「取材を止めろとは言われなかった」としつつも、
「本にも既述したように、非常に憤りました。我々が今まさに戦っている相手と手打ちをしようという話があがっていたこと自体が、俄に信じがたかった。紙面を扱う編集局次長が同席していたというのは、報道機関として許される行為ではなかったと思います」
最初の会合後の4月、世界日報の朝日新聞批判記事は打ち止めになった。
しかし、これだけではなかった。
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