マヂラブもランジャタイも“地下芸人”ではない―元芸人が考える本当の地下とは
#お笑い #檜山豊
地下とは、努力しなくても誰にも怒られない生温い環境
さらに「人に理解されがたい奇抜なネタをする芸人」を指して「地下芸人」と称するパターンもあるらしいが、これも人に理解され難いだけなら、何の問題も無いはず。理解された上でつまらないほうがよっぽど問題だ。
ちなみにこの奇抜なネタをする芸人枠に「ハリウッドザコシショウ」や「ランジャタイ」「真空ジェシカ」などが当てはまるらしいのだが、この3組のネタはお笑いの基本のフリ、ボケ、ツッコミ、裏切りなどを踏襲しており、その喋り方やボケ方、見た目が奇抜に見えるだけで他の芸人のしていることとなんら変わらない。笑わせる方法が間違っていなければ、ネタを作る為の努力をしてきたということなので「地下芸人」とは呼べない。
今”努力”という言葉を使ったが、僕が思う「売れない芸人」というのは、売れる為の努力をしない芸人だ。
芸人という職業は、皆さんが思っているほど自由ではない。自分の考えや意見を通せるようになるのはある程度テレビに出たり、実績を積んだ芸人のみで、なんの実績も無い芸人が自分の思ったように立ち振る舞うことなど許されないのだ。
芸人が自身を表現する方法であるネタですら、自由には出来ない。ライブでもテレビでも必ず”ネタ見せ”というものがあり、作家やマネージャーにネタを披露し、評価され修正される。笑いの基本がわかっていない芸人ほど、こき下ろされ「声が小さい」「掴みが弱い」「オチがわかりづらい」「どこが面白いの?」などプライドをべきべきにへし折られる。
誰だって自分を評価されるのは嫌だ。しかも寝ずに作ったネタを「面白くない」の一言で片づけられたら、悲しくもなるしムカつきもする。しかしそこを耐えて、作家やマネージャーに対して「見返してやる」という気持ちで努力し続けるしかない。そして他者の意見を取り入れ試行錯誤し、気が付くとお客さんが笑うようになり、認められていくのだ。
しかし売れない芸人たちは厳しい評価に耐えられず、ネタ見せから逃れようとする。そして勘違いした自由を求めて事務所を離れ、気が付くとネタ見せの無いライブや自分たちが主催となってライブを開いていくのだ。
誰にも評価されない、努力しなくても誰にも怒られない生温い環境――この環境こそがまさに”地下”で、その環境で満足し、誰かがやっているようなオリジナリティのないネタを披露し、芸人みたいな活動をしている人たちこそ、僕が思う「地下芸人」だ。
経験が浅くて間違って、地下に入り込んでしまう新人がいても、それは地下芸人ではなく、さまざまな経験をしたり数年芸人をやった上で、自ら生温い環境を選んだ芸人が地下芸人というわけだ。
地下芸人の多くは笑いが起きないことを時代や客のせいにしたり、最悪の場合相方のせいにしてコンビを解散し、コロコロと相方を変えていく。他人から見てコンビの相性が悪く見えたり、方向性が違っているように見えない限り、解散して新しい相方を見つけたとしても結局、同じ結末を迎えることに気づきもしない。そしていっちょまえに酒でも飲みながら、地下芸人同士でお笑いについての持論を熱く語るのだ。
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