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日刊サイゾー トップ > インタビュー  > 「少年マガジン」が築いたマンガ編集の秘話
「マンガの教科書」を書いた元編集者が語る

特攻の拓、東リベ……「少年マガジン」が築いたマンガ編集の秘話

『ジャイキリ』綱本将也に原作の書き方を聞かれた

――石井さんが週マガに移られた後で、マガジンではひとつの作品に2人以上担当がつく「複数担当制」や、編集者がチーム単位で動く「班」制度ができたそうですね。これは、各編集者はどういう役割分担なのでしょうか?

石井 それに関しては誤解が多いんだけど、そもそもはどういう経緯でできたものだったか。「編集者主導で企画・原作を作れ」と言われても、みんながみんなできるわけではない。週マガの編集部でもせいぜい4、5人しか作れなかった。だから、そのできる4、5人がひとり4、5作品ずつ担当して雑誌を回すわけです。ただ、原作やプロットなんて毎週毎週ひとつ考えるのも大変だから、それを助けるために「あの作品にはお前も行け」「こっちの作品には君も行け」とやっているうちに、面倒だから「マガジンは班制度にする」と。企画が作れるヤツが班長にされて、「石井班」みたいに名前がつくようになった。本当に明確な企画を出せる人は少数ですから、その人を中心にして、あとはサブでつけるスタイルが一番効率がいいと。企画を出したヤツが最終決定するけれども、アイデアに困ったらみんなで集まる。新入社員に近いヤツは原稿取りとか雑務をやる。それが複数担当制、班制度の本来の意味合いで、自然発生的にできたものだったんですよ。

 だけど、それが2000年代以降には形骸化していき、ひとつの作品に担当者が多いと4人もいるのに誰も企画・原作が作れない、なんてこともあるようになってしまった。ちなみに、講談社の職制に「班長」というものは公式にはありません。五十嵐隆夫さんが勝手につくったものです。

――マガジンといえば伝統的に原作つきマンガが多いイメージがありますが、編集者が企画を考えるなら原作者はどういうときにつけていたんですか?

石井 それも時代によって変わっています。僕らが編集部に入る以前のマガジンは、梶原一騎さんや小池一夫さん、雁屋哲さんといった面々が君臨していた時代です。ところが、梶原さんたちに続く原作者はなかなか出てこない。それでみんな「やっぱりマンガの原作も天性の才能がないとできないんだな」と長い間、思い込んでいた。しかし、五十嵐隆夫さんからモルモットとして原作まで作らされた僕ら世代以降からは、ものになるヤツも出てきた。編集者が企画・原作をできることが前提になると、目線が変わってきます。梶原一騎さん世代以降のマンガ原作者を名乗っている人たちは「ネタはいいけど、肝心の人間ドラマが……」ということが、ままあるわけです。だから、シナリオは編集者がリライトする。しまいには、原作者には専門分野のネタや知識だけを提供してもらうようになり、クレジットが「原作」から「原案」「原案協力」になったりする。

「モーニング」でやっている『GIANT KILLING』もそうだけど(ツジトモ作画、綱本将也は1~8巻まで「原作」、9巻以降は「原案・取材協力」とクレジット)、綱本君は学生時代に週マガにバイトで来ていたんですよ。それで「原作の書き方を教えてください」と俺に言ってきたから、「打ち合わせを聞いてろ」と言って立ち会わせたり、僕が書いた『風のシルフィード』のプロットの手書き原稿をくれてやりました。

足立区や北海道の少年に支持されて日本一に

――本の中では和久井健さんによる『東京卍リベンジャーズ』をリアル、泥くさい、汗と涙を感じさせる「マガジンらしい」マンガと形容されていましたが、マガジンは気づけばラブコメやファンタジーが多い雑誌になりました。

石井 なぜか2004年前後からどっと増えました。

――04年というと、CLAMP『ツバサクロニクル』、赤松健『魔法先生ネギま!』、小林尽『スクールランブル』などが載っていた頃ですよね。確かに、毛色が変わってきたなという印象がありました。

石井 赤松健が『ラブひな』で出てきた頃は「こういうマンガが雑誌にひとつくらいあってもいいかな」と思っていたけど、マガジンは一番売れていた時代には『GTO』とか『特攻の拓』みたいな、23区で言えば足立区の少年に喜ばれるようなものを作ってきたわけでしょう。マガジンは20世紀の終わりに3年間だけジャンプに勝った。でも、そのときだってマガジンは東京では負けているんですよ。伝統的にマガジンは都会では弱い。しかしながら、例えば北海道では強い。月マガ時代にアンケートハガキの集計を都道府県別でやって、営業部に調べさせた売り上げと照らし合わせたんだけど、北海道と東京の人気はずっと変わらなかったわけ。部数が伸びても基本的には傾向は一緒です。最盛期の月マガ200万部、週マガ450万部を支えてくれたのは渋谷区の少年じゃないんですよ。都会のおしゃれなガキになじむものは我々は作れない。しかしながら、田舎の少年の気持ちはわかる。『あしたのジョー』だって、うらぶれたドヤ街の庶民の物語でしょ。そういうのがマガジンは得意なんですよ。一番部数が伸びていた時期のマガジンは、実は地方票を採っていた。東京で売れようが、どこで売れようが、1冊は1冊ですから。都市部に強い雑誌とは棲み分けができていた。

 それなのに、なぜマガジンがオタク向けのマンガを増やすのか。泥くさいマンガやエロいマンガを売って重役になった五十嵐隆夫さんまでもが04年頃にはなぜか「ファンタジーだ」と言い始めたんだけれども、僕には根拠がよくわからなかった。誰のおかげでマガジンが日本一になれたのかを忘れてしまったんじゃないのか。結局、いまだにマガジンのアンケートでは30年以上やっている『はじめの一歩』が『東京リベンジャーズ』と1位を争っていたりするんですよ? じゃあ、『一歩』みたいなマンガをもっと作れよと思うんだけど……今の作り手には北海道や足立区の少年の気持ちがわからないかもしれない。中高一貫の私立から東大に入って、講談社に来たようなエリートぶった編集者にはね。

――言われてみれば、昔のマガジンがガッチリつかんでいた読者層に向けたマンガが、今はあまりない気がします。

石井 僕からすると、最近のマンガ編集者は本質を見誤っているように感じることが多いんですよ。そもそも今のマンガは編集の匂いがしない。ちゃんと打ち合わせしてんのか? 作家に描かせっぱなしにしないで指導してんのか? と。マンガづくりで一番キツいのは、企画を煮詰めて具現化することです。その根っこの部分をないがしろにして、SNSで売ることばかり考えている編集者が多い。SNSでの宣伝を請け負ってる会社の人に聞くと、「SNSで広告を打って効果が出るようにするには最低1億円必要ですよ。編集者が個人でやったところで意味ないです」と言うわけ。だから、そんなことやってないでマンガづくりの根幹に向き合ってもらいたい。そのやり方は、本に書きましたから。

 

マーケティング的視点と批評的観点からウェブカルチャーや出版産業、子どもの本について取材&調査して解説・分析。単著『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの?』(星海社新書)、『ウェブ小説の衝撃』(筑摩書房)など。「Yahoo!個人」「リアルサウンドブック」「現代ビジネス」「新文化」などに寄稿。単行本の聞き書き構成やコンサル業も。

いいだいちし

最終更新:2022/08/30 12:00
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