『バチェロレッテ』考察YouTuber「海空ちゅうと」は芸能人の仕事を奪い取るか?
#檜山豊 #バチェラージャパン
“このエンターテイメントに芸能人は必要ない”
しかしここでふと気づいたことがある。この至れり尽くせりの中に芸能人は参加していないのだ。ちゅうとさんはもちろん芸能人ではない。そして出演者も舞台俳優やモデルという肩書の人がいたとしても、見ている人が芸能人と認識するほどの人達ではない。そしてちゅうとさんの配信見ているリスナーの人たちもたぶん、芸能人ではない。何と恐ろしい事だ。このエンターテイメントの中に芸能人は必要ないのである。
一般の方が一般の方を独断と偏見で考察し、それを一般の方が楽しみ、さらに一般の方が生配信をしている番組に、リアリティー番組に出演した一般の方が参加し、見ている一般の方がさらに喜び楽しむ。
なんだか早口言葉みたいになってしまったが、この図式が成立してしまうと、芸能人の存在意義とは何なのかとすら思えてくる。
才能があればどこかの事務所に所属しなくても面白いものを発信することができ、チャンスとタイミングと運があれば芸能人でなくとも番組に出演し人気者になることが出来る。そして何にも縛られていないことにより、自分の意志でどこにでも自由に参加することが出来て、リスナーとの心の距離も縮められる。
芸能人は手の届かない存在であることが、一種のステータスであり、存在価値であったが、一般の方が人気番組に出演することにより芸能人と肩を並べる、しかも芸能人のように多くの番組や映像媒体に出演するわけでは無いので、一般の有名人の方が見ることが出来ない。下手したら芸能人より手も目も届かない存在かもしれない。
しかし『バチェロレッテ・ジャパン』を見てもわかる通り、司会にはナインティナインさんとシェリーさんがいる。つまりまだまだ一般の方には真似出来ないMCの技術やリアクション方法が芸能人にはあるのだ。それが芸能人の特殊なステータスであり存在意義、存在価値だと思っている。
芸能人と一般人の境界線がぼやけ始めている昨今。芸能人は一般人の僕たちに肩を並べられる職業にはなって欲しくないと常々思っている。
その為にどんな芸能人も独自の加速装置を身につけて、肩を並べた一般人をぶっちぎってほしい。これが芸能界に憧れた僕の願いだ。
しかし芸能人たちよ、気をつけろ!
「海空ちゅうと」という加速装置を身につけた一般人は、予想以上に強敵である。
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