『関ジャム』山下達郎は“古くならない”、ピチカートは“忘れられる”音楽を目指した
#山下達郎 #関ジャム #小西康陽
古くならない音楽を作るため、山下達郎が貫いた“主義”
山下特集では、こんな未公開部分もあった。
――いろんなパターンがあると思うんですけど、達郎さんの中でアレンジのこだわりや注意点や、「ここが肝だな」という点は?
「アレンジは、その時代の音っていうのがあるんですよね。楽器の変遷。例えば、生楽器がシンセサイザーになって、今はドラムマシンもサンプリングになって。そういうときにアレンジをどうするか? 『どこまでその時代を反映して、どこまでそれに逆らうか?』という塩梅。2~3年やって『いい音だな』というのを発見し、それをずっと使い続けるとだんだん飽きてくる。飽きてきたとき、次に何を使うか? で、例えばいい結果が出た。そうすると、それが経験則として残って、それを繰り返しているうちに新しいハード、ソフトが出てきて、だんだんそれが古くなってくる。よくあるんですよ、職人で。使った道具が古くなると、『いや、俺はこれが好きなんだ』って言ってね。ところが、好きだけじゃダメなんです、こういうコマーシャルミュージックというか商業音楽っていうのは」
「飽きたら、次に何を使うか?」のフェーズへ、迷わず突き進めればいい。でも、全ミュージシャンが山下のようにスパッと前へは進めるわけではない。例えば、小室哲哉は今もキース・エマーソンばりにキーボードにぐるりと囲まれている。さらに、「伝統芸能みたいなもの」とそのフォーメーションを自らの代名詞として昇華した。それはそれで、各々のミュージシャンシップだ。
「(古い道具にこだわるミュージシャンもいれば)なんでも新しいものが好きな奴もいて、『これからはこれだよ!』っていうね。そういうところで編曲をどうするかというのは、常にいつの時代でも問われていること。昔はギター1本と歌だけで成立した。ボブ・ディランの1stアルバムとかね。今はそれじゃ通用しないですよ」
――でも、達郎さんがおっしゃるようになんでも時代に合わせるのではなくて……。
「なるべく、トレンドな楽器は使わないっていう。僕はそういう主義でやってきたので。いつ作られたのかわからないような音楽が好きなんです。そうすると、30年経ってもいつ作られたかわからないから古くならない。“時の試練”に耐えるんですね」
日々の努力と情報収集を怠らない、山下の姿勢が垣間見える。“時の試練”に耐えるべく、「いつ作られたのかわからないような音楽」を志向しているということ。エバーグリーンを見据えたポリシーは、彼の楽曲を聴けばよくわかる。
もちろん、山下の指向は世のミュージシャンにとっての“大正義”ではない。たとえば、小西康陽だ。「GINZA」2017年4月号(マガジンハウス)で岡村靖幸と対談した小西は、ピチカート・ファイヴで目指した方向性を以下のように語っている。
「僕は85年にピチカート・ファイヴでデビューしたんですが、(中略)60年代や70年代の古い音楽のようにエバーグリーンで古びない音楽を作りたいと思ってやりはじめたんです。それが90年代になって、突然気持ちが変わった。毎年の流行を追いかけて、忘れられちゃうほうがカッコいいと思うようになったんです」
刹那的な“流行音楽”に、自ら殉じようとしたミュージシャンもいる。良い悪いではなく、山下が言うようにこれは「主義」である。
小西は“時の試練”、“流行”について、以下のようにも語っている。
「ムッシュ(かまやつ)の言葉で流行についての名言があって。明け方にタクシー乗ったら早朝のラジオ番組でムッシュがしゃべっていたことなんだけど。『流行に乗ったら、早く降りなきゃね』って。『そうしないと次のに乗れないでしょ』。僕はガーンときた。ホントにその通りだよ、と思った」
「僕は流行に深く関わりすぎたかもしれない」
何十年経ってもスタンダートとして世に愛される、エイジレスな山下の楽曲。そして、令和になった今も90年代を象徴し続けているピチカートの楽曲。山下も小西も、共に研究者のようなミュージシャンである。
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