イジリー岡田、『ギルガメ』終了で”エロ”封印から役者としても開眼
#イジリー岡田
コンビで番組出演、順風も…ソロで『ギルガメ』に出演するまで
――そして1987年に「キッドカット」というコンビで活動をスタート。しかも、結成当初からテレビやラジオでご活躍されて。
イジリー:『木曜スペシャル』(日本テレビ系)という若手芸人40組が出る番組で優勝して。『パラダイスGoGo!!』(フジテレビ系)に呼ばれてネタを5週間勝ち抜いてチャンピオンになって。確かに、調子は良かったんですけど、僕の相方が仕事に9割の確率で遅刻する人だったんです。ある日、事務所から「岡田は1人でやっていけ」と言われて解散になっちゃうんですよ。
それは辛かったですね。相方には昔から何でも相談していたし、高校時代からの親友だったんですよ。そもそも相方って別にお笑いを目指していたわけじゃなくて、普通のサラリーマンだったんです。僕が彼の人生を狂わしちゃったのに、別れることになってしまった。
――解散の要因は遅刻だけですか?
イジリー:彼は芸人を目指してなかったのもあり、自然とコンビ間で差が出てきちゃったんですよね。文化放送の『吉田照美のやる気MANMAN!』という人気番組があって。中継を同局のアナウンサーの方が担当していたんですけど、試しにタレントを入れようとなって、コンビで呼ばれたんです。その楽屋で相方がトイレへ行ってる間に、マネージャーさんが耳元で「今日は岡田のテストだからな」と言われて。豊島園にあるハイドロポリスのオープン前の中継を生放送でやったら評判がよくて、僕だけがレギュラーになったんです。その後も日テレの『鶴ちゃんのプッツン5』の1コーナーの司会を、僕だけが務めることになりまして。
――良くも悪くも、ピンで実力が認められてしまったわけですね。
イジリー:そんな中、フジテレビの『花王名人劇場』の前説でフジテレビへ行ったら、マネージャーが「オクヤマ(相方の名前)が来たけど今、帰したからな。岡田は今日1人で前説だぞ」と言われて。ただ、相方は帰れと言われたのに、実は帰っていなくて。控え室のドアの後ろにいたんです。しかも「今日1人でやれよ」と言ったのを「今後は1人でやれよ」と聞き間違えたんです。それで相方は解散する決意を固めまして。帰りの電車で解散しちゃったんです。それが26歳の時ですね。
――その後、イジリーさん27歳の時に、伝説の深夜番組『ギルガメッシュないと』のレギュラーに抜擢されます。
イジリー:当時のマネージャーさんに「まず深夜から練習をしよう」と言われて、そこで持ってきたのがテレビ東京の『ギルガメッシュないと』。「深夜番組なので3カ月で終わると思いますけど、一生懸命頑張ってください」と言われて。最初は「東京のデートスポットとか映画を紹介する」という趣旨で始まったんです。
――言ってしまえば『王様のブランチ』(TBS系)みたいな情報番組だったと。
イジリー:番組スタート時は岩本恭生さん、3人組女性ダンサー・VIVID、僕の5人しかレギュラーがいなかった。だからロケ担当は僕なんですね。「なんのロケですか?」とマネージャーさんに聞いたら「AV女優さんのお宅に行く」と。先ほども言った通り、本来僕が目指していたのは正統派の芸人。やりたいこととは違いますけど、マネージャーさんが取ってきてくれたお仕事ですし大事に取り組まなきゃいけないから、3カ月で終わるかもしれないけど、やろうと思った。とにかく一生懸命でしたね。
その結果、エロい芸風というイメージが定着したけど、本音を言えば下ネタは嫌いでしたし、後輩にも「裸で笑いを取るやつ卑怯だからな」と言っていたのに、毎週のように裸になっている。そのギャップはありましたけど、この世界で生きていかなきゃいけないので「やるしかない」と。そしたら知らないうちに、3カ月のはずが6年半も続くお化け番組になっていました。
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