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日刊サイゾー トップ > カルチャー > 映画  > 『ロッキーVSドラゴ』が捨てた過去
稲田豊史の「さよならシネマ 〜この映画のココだけ言いたい〜」

『ロッキーVSドラゴ:ROCKY IV』が「大人」になって捨てた不都合な過去

アポロの傲慢ぶりが緩和

『ロッキーVSドラゴ』は単なる再編集じゃない!巧妙に大人化した「42分」の追加の画像2
©︎2021 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.

「子供じみた恥ずかしい行動を封印する」のがオトナ化だと言えば、聞こえはいい。ただオトナ化には、ある種の狡猾さも伴う。黒歴史の隠蔽や、過去の不都合な真実の削除もまた、立派なオトナ化だ。なんのために? 今の自分を「良く」見せるためだ。「自分は正しい人間である」と周囲に胸を張るためだ。

 「良く」見せる=盛る、だとすれば、オトナ化はTwitterのプロフィール欄や固定ツイートにいくらでも転がっている。だがキラキラした自己紹介をいくら読んでも、ツイ主の本性はわからない。本性を知るにはむしろ「ツイ消し」を発掘するほうが早い。「何を隠したかったか」「何を恥だと思うか」に、その人間の本性が現れるからだ。

 だから『ロッキーVSドラゴ』で大事なのは、どんな未公開シーンが追加されたかではない。どんなシーンが削られたか、である。

 たとえば、ドラゴとアポロの試合前記者会見のシーン。『ロッキー4』ではアポロがドラゴ陣営をかなりナメてかかっている態度が強調されている。挑発的で、見ているこっちが不快になるほど増長しているアポロ。要は「わりと失礼」だ。無論、ドラゴ陣営は不快感をあらわにする。

 しかし『ロッキーVSドラゴ』では、アポロ失礼発言の多くがカットされており、「どちらかと言えばドラゴ陣営が先に失礼を働き、アポロがそれに言い返した」ように見える。編集によってアポロの傲慢ぶりが緩和されているのだ。

ロッキーの「罪」が軽くなった

『ロッキーVSドラゴ』は単なる再編集じゃない!巧妙に大人化した「42分」の追加の画像3
©︎2021 Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc. All Rights Reserved.

 さらに巧妙だと感じた改変が、アポロがKOされるドラゴとの試合シーンだ。アポロはセコンドについたロッキーに「タオルは投げるな」と厳命する。ここまでは両作同じ。しかしアポロが絶対的劣勢に陥ってからが違う。

 まず、『ロッキー4』ではこんな流れだ。

①アポロのトレーナーのデュークがヤバいと感じ、ロッキーに「タオルを(投げろ)!」と叫ぶ
②それを聞いたロッキーはタオルをつかんで構えるが、躊躇して投げない
③その間にもドラゴにボコボコにされるアポロ
④実況が「アポロ打たれっぱなし」、デュークが再度「タオルを!」と叫ぶ
⑤ロッキー、まだタオルを投げない
⑥アポロがKOされる(死亡)

 だが、『ロッキーVSドラゴ』ではこう変わっている。

①デュークがヤバいと感じ、ロッキーに「タオルを!」と叫ぶ
②それを聞いたロッキーはタオルをつかんで構える
③直後、アポロがKOされる(死亡)

 『ロッキー4』における②~⑤がカットされたことで、観客の抱く印象は大きく変わる。『ロッキー4』では「ロッキーが早くタオルを投げていればアポロは死ななかった」だが、『ロッキーVSドラゴ』では「どうあってもアポロの死は防げなかった(ロッキーのタオルが間に合わなかった)」だ。

 要するに、アポロの死に対するロッキーの「責任」が大幅に軽減されているのだ。

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