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日刊サイゾー トップ > カルチャー > 映画  > ワンピ映画のAdoへの批判が起こる理由

『ONE PIECE FILM RED』「Adoの歌唱シーン多すぎ」という批判はなぜ起こるのか?

ミュージカル映画としては歌唱シーンは実は控えめ?

 この『ONE PIECE FILM RED』でAdoが歌う楽曲は全7曲。例えば『ラ・ラ・ランド』(2016)におけるメインの楽曲は8曲、『グレイテスト・ショーマン』(2017)では11曲だったりするので、ミュージカル映画としてはむしろ普通、または控えめな楽曲数だ。

 しかも、それぞれの楽曲は1コーラスで終わっているし、ミュージカル映画の欠点としてよく挙げられている「歌が物語を止めてしまう」ことにもなっていない。中田ヤスタカやMrs.GREEN APPLEなど豪華アーティストが提供した歌詞はウタの心情を明確に表しているし、中盤からは歌唱と同時に物語が進む場面もある。さらに歌唱シーンがほぼなく物語のみが進む場面も長いため、全体的には良いバランスになっているのではないだろうか。

 むしろ、筆者個人としては、序盤にウタがコンサート会場で1、2曲しか歌っていないのに、見知った仲であるルフィおよび麦わらの一味と仲良く遊んだり勝負をしていたりするので、そんなことをライブ中にしたら観客からブーイングが飛ぶのでは?と心の中でツッコミを入れてしまったりもした。つまりは、「もっと歌ってほしい」くらいに思っていたのだ。

 そう感じたのは、筆者個人が『ワンピース』およびAdoに、さほど思い入れがないということも理由にあるのかもしれない。『ワンピース』は「正史」の物語や世界観が強固であるがゆえに、今回のウタというキャラクターと物語、そしてAdoによる歌という要素は「異質」と言える。やはり、『ワンピース』のファンこそがモヤモヤとした心境になりやすかったのではないか。

結論:「映画館で観る」喜びが大きい作品

 結論としては、多くの方があげる「Adoの歌唱シーン多すぎ」という批判は、個人的には全く気にならなかった、なんならもっと聴きたいと思った、ということだ。もちろん、その批判意見そのものは真っ当だが、そのために観に行こうか悩んでしまったという方には、ひとまず劇場に足を運んで自分の目と耳で確かめてみることをオススメしておく。

 何より、今回の『ONE PIECE FILM RED』は「映画館で観る」喜びが大きい作品だ。豪華アーティストが提供した耳に残る楽曲とAdoの力強い歌声、躍動感のある煌びやかなアニメの演出による圧巻のライブ映像は、音響も優れた「ハコ」の中で体感する価値が間違いなくある。

「歌」以外の賛否両論の要素のほうが気になるかも?

 個人的に、Adoの歌唱シーン以外で「人を選ぶ」「賛否両論になる」要素で気になるのは、やはり「恐ろしくて」「悲しい」物語であることだ。さすがに『オマツリ男爵と秘密の島』ほどのグロテスクな描写はないし、むしろ『ワンピース』という作品では「過去の悲劇」をよく提示していたので、今回の『ONE PIECE FILM RED』の内容が「こうなる」ことに納得できるファンもいると思う。だが、やはり悪い意味での居心地の悪さ、「思っていた内容と違った」と感じてしまう方も少なくはないのではないか。

 だが、本作は「恐ろしくて」「悲しい」物語であることそのものに意味がある。劇中で起こる出来事はファンタジーではあるが、ある悲劇を背負ったキャラクターの心情は現実でも他人事ではないだろう。さらに、本作の根幹を成す「歌」に、物語(特に結末で)重要な役割を担わせていることには、確かな感動があったのだ。それも踏まえて、ぜひ『ONE PIECE FILM RED』を劇場で楽しんでほしい。

ヒナタカ(映画ライター)

「ねとらぼ」「cinemas PLUS」「女子SPA!」「All About」などで執筆中の雑食系映画ライター。オールタイムベスト映画は『アイの歌声を聴かせて』。

Twitter:@HinatakaJeF

ひなたか

最終更新:2022/08/13 13:00
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