『天空の城ラピュタ』宮崎駿がノベライズ版で示した“権力者の隠蔽体質”
#宮崎駿 #スタジオジブリ #金曜ロードショー #しばりやトーマス #金ロー
今週からの金曜ロードショーは、夏休み恒例のスタジオジブリ特集。その第一弾を飾るのは『天空の城ラピュタ』。知らぬものとてない国民的アニメ監督・宮崎駿の代表作のひとつだ(代表作がいっぱいあるから決められないけど)。
本作は監督同様、国民的アニメ制作会社として認知されているスタジオジブリの第一回作品。よく『風の谷のナウシカ』が第一弾作品と勘違いされることがあるが、『ナウシカ』は宮崎が所属していた東映動画のスタッフが設立したトップクラフトの制作作品で、85年に設立したジブリの第一回作品が『ラピュタ』だ。
『ラピュタ』が公開されたのは1986年。80年代はアニメにとって、過度期を迎える時代だった。60年代に手塚治虫によってお茶の間の娯楽としてスタートしたテレビアニメは、70年代に監督デビューした富野喜幸(当時)の活躍と『宇宙戦艦ヤマト』によってブームを築いていた。
そして80年代のアニメは視聴者の熱烈な支持を受け、映画化を嘆願するファンの署名まで行われた『六神合体ゴッドマーズ』(1981)、リアルな戦争描写とそれが生み出す悲劇を描いた単純な勧善懲悪ではない『太陽の牙ダグラム』(〃)、5年に渡り放送され多数のファンを生み出した『うる星やつら』(〃)、リアルに変形するメカ、ロボットを登場させ戦場での恋愛模様を描きその後シリーズ拡大に成功した『超時空要塞マクロス』(82)、SFハードボイルドアクションを初めて成立させたといえる『スペースコブラ』(〃)といった作品群はそれまでの「アニメは子供が見るもの」という固定観念を一変させた。今でいう「オタク」の人たちが支持し、評価されていく作品が誕生していた時代となった。
次第に高年齢向けになっていくアニメに対して宮崎は古典の復興、王道の冒険活劇を目指した。
「王道の子供向け作品は結果として、大人の鑑賞にも耐えうるものになる」というのが宮崎駿の考えで(当時、宮崎は王道の冒険活劇もの『名探偵ホームズ』の演出を手掛けていた)、作られた物語はまさに王道の冒険活劇だった。
金ロー放送17回目(笑)『天空の城ラピュタ』のストーリーをさっと解説
現在の科学力を凌駕する超古代文明をつくりあげていた古代人たちは、空に浮かぶ巨大な島「ラピュタ」をつくり暮らしていたが、高度に発達しすぎた文明により生命力を失ったラピュタの民は謎の奇病によって滅亡の道をたどった。わずかに生き残った民はラピュタを捨て、地上に降りた。その後もラピュタは飛行石の力によって空を浮遊し続け、ラピュタに近づこうとするものは巨大な空気の渦「竜の巣」によって追い払われ、やがてラピュタの存在すら伝説となっていった。
ラピュタの存在を知り手に入れることを企む政府の秘密機関はラピュタの民の末裔で、ラピュタへの道を示す飛行石を持つ少女、シータを捕らえるが飛行石を狙う空の海賊ドーラー一味の襲撃を受け、シータは飛行船から落下。飛行石の力によってゆっくりと落下していたシータを助けたのは少年パズー。パズーの父親は冒険家でかつて伝説とされた「空に浮かぶ城ラピュタ」を写真に収め、人々にラピュタの存在を触れ回ったが誰にも信じてもらえず、詐欺師と蔑まれて亡くなった。父親を信じるパズーはいつか、冒険の果てにラピュタを見つけることを夢見ていた。シータの持つ飛行石がラピュタへの手がかりとなることを知ったパズーは冒険に出ようとするが政府の秘密機関に属するムスカ大佐の一派によって捕らえられ、パズーの命と引き換えにシータはムスカたちに協力させられる。
失意のまま家に戻ったパズーはドーラーたちの襲撃を受け、彼女らとともにシータを取り戻す旅に同行する。
無事シータを救い出し、ラピュタを目指す二人は軍の追手によりドーラー一味と分断され、ラピュタを守る「竜の巣」に飲み込まれる。「竜の巣」の中で父親の幻を見たパズーとシータは気が付けばラピュタ城の庭園にいた。あった! ラピュタは本当にあったんだ!
自然とともに生きて死ぬことを忘れ、高度なテクノロジーに依存したラピュタの民の滅びの真相を知ったシータは同じくラピュタの末裔で、ラピュタの科学力によって世界の支配を目論むムスカに反発、滅びの言葉「バルス」でラピュタを葬り去る。
ラピュタは、中心となる巨大な飛行石を残し崩壊。はるか空の彼方へと飛び去る。パズーとシータは地面に降り立つのだった……。
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