『君の名前で僕を呼んで』古代ギリシャから繋がるひと夏の恋の目録
#文化横断系進化論 #宮谷行美
夏が来ると、決まって映画『君の名前で僕を呼んで』を思い出す。まばゆい太陽光に清々しいまでの真っ青な空、肌がじんわりと焼けていくように恋に焦がれたあの北イタリアの夏を、あたかも自分が体験したかのように思い出しては、切ない気持ちで胸がいっぱいになる。
公開当初は “美しいBL映画”なんて謳い文句が溢れていたが、映画を見終わってもなお、その表現には違和感を持ち続けている。単なるボーイズラブ作品として消化するには、恋愛模様の裏側にある歴史的文脈や哲学の奥深さを損なうような気がしてしまうし、何より主人公が体験した恋はけして異端なものではなく、誰しもが一度は経験するであろうひとつの恋に過ぎないからだ。
物語の背景にある「ギリシャ彫刻」と「少年愛」
家族とともに北イタリアの避暑地で夏を過ごす17歳のエリオは、7つ年上の大学院生・オリヴァーと出会い、忘れられない夏を過ごす。美しさだけを詰め込んだ圧倒的な映像美でひと夏の恋模様を描くも、二人が恋に落ちるために何か大きな出来事が起こるわけではない。まるで生き別れたものたちが引き寄せ合うように彼らの心は自然と動き出し、ぴったりと重なる瞬間が訪れるのだ。
『ミラノ、愛に生きる』(2011)、『サスペリア』(2019)を手掛けたイタリアの俊英ルカ・グァダニーノ監督は、古代ギリシャにまつわる神話や歴史、芸術の数々を用いて、エリオとオリヴァーの秘めたる関係や心情を巧妙に描いた。
オープニングより幾度も登場するギリシャ彫刻は、大学教授であるエリオの父・サミュエルと、その助手であるオリヴァーの研究対象だ。精神的にも肉体的にも優れた人間を求めて生み出された彫刻たちは、どれも官能的で、胸の内にある欲望を湧き立たせるようだと劇中で表現されている。これらは、エリオやオリヴァーの中で芽生える、性別や常識では片せないような、曖昧で形のない“本能的な欲求”を示唆する存在となる。
また、古代ギリシャでは理想的な人間に育てるための教育として、成人男性と思春期の少年が恋愛関係や性的関係を持つ“少年愛”が推奨されていたといわれており(※1)、その構図はエリオとオリヴァーにも当てはまるだろう。少年が大人になれば、この関係は成立しなくなる。そこでオリヴァーは、エリオから向けられる愛情にたびたび制限をかけ、自分との距離が縮まるたびに起こる体調や感情の変化に恐れながらも、彼のこれからの生涯に傷を残さないように努めた。たとえエリオの家族は温かく見守ろうとも、世の中は同性愛者たちに寛大ではないことを知っているからだ。
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