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日刊サイゾー トップ > エンタメ  > 玉置浩二「自分も歌を唄って救われる」

玉置浩二を『関ジャム』が大特集、レジェンド吐露する「自分も歌を唄って救われる」

玉置浩二が盟友の娘・平原綾香にメッセージ

 平原は玉置の“リズム感”にスゴさを感じるという。

「玉置さんはドラムも叩かれていて、プロ並みの方なので。例えば、『田園』の“タータカタータカタータ”(いーしころーけとばーし)。歌のメロディーで、あれは普通書かないんですよ。あれは全部、ドラマーのメロディーだと思うんです。歌のうまさって“声が出る・出ない”はもちろんだけど、一番重要なのはもしかしたらリズムかもしれない」(平原)

「田園」を玉置ほどリズミカルに歌えるボーカリストは、他にいない。かつて、玉置がムッシュかまやつと共演して「あの時君は若かった」を演奏した際、彼が担当したのはドラムだった。あと、余談だが、アマチュア時代の安全地帯でドラムを担当したのは、玉置の兄の玉置一芳である。

 続けて、平原は玉置に「その声を保つために気をつけていることはありますか?」と質問。その問いに対する玉置からの回答は、以下だ。

「ずっと、気をつけていることはなかったんだけど。60歳になって、母親が死んで、親父も死んで、変わったかな。日々、早寝早起きで。常に朝、コンサートと同じ長さの時間をウォーキング。有酸素運動、持久力つけるのにね」(玉置)

 20年前、平原が玉置のコンサートの楽屋を訪問した際、当時の玉置は今のような状況ではなかったそうだ。

「そのときの玉置さんは、楽屋で『俺、声出ないんだよね。もう、ダメかも』ってポロッとおっしゃってたんです」(平原)

 彼女が言うように、玉置浩二には声が出ない時期があった。その頃のライブはウイスパーボイスを必要以上に多用、明らかにボーカリストとして危機だった。しかし、復活して今の境地にたどり着いた。よく、復活したと思う。

「自分も歌を唄って救われるということがわかったので。これは親がいなくなったことに関わるんだけど、いつも自分の心の中に(親は)いるから。だから、故郷(両親)を想うような気持ちで歌えるようになったよ。それがとても大事なことだと思う」(玉置)

 平原は昨年、父を亡くしている。彼女の亡き父は、日本屈指のサックスプレイヤー・平原まこと。安全地帯で演奏していたこともある、玉置とゆかりの深い人物だ。2月19日放送『玉置浩二ショー』(NHK)で、玉置は平原まことに捧げる楽曲「明日」を演奏した。玉置からの回答を聞き、平原は涙を流した。玉置の言葉は、平原に対するメッセージでもあったのだ。

 玉置が自らの歌で自分を支えているのは、傍から見てもわかる。「自分のために歌を歌っている」と口にするミュージシャンが、最近はいなくなった。彼の正直な吐露は、今の時代に俄然、際立っている。

 最後に、水野から玉置へ「人生で1曲しか残せないとしたら、何を選びますか?」という質問が。

「1曲かあ。鼻差で『メロディー』か『田園』……かな? 写真判定だな。玉置浩二として、大人も子どもも知ってくれていて喜んでくれる曲だから」(玉置)

「自分が残したい」ではなく、「みんなが喜んでくれる」曲を選んだ玉置。正直、筆者は「悲しみにさよなら」や「ワインレッドの心」のほうが思い入れは強い。ただ、安全地帯の楽曲は玉置が“耽美”を演じていた部分もあり、一方の「田園」はまさに玉置浩二そのままである。歌に救われたから経験のある彼だからこそ、本音としてもこの2曲が挙がるのかもしれない。

 今回の玉置浩二特集、ゲストが玉置への思い入れを発表するブロックが多く、楽曲やボーカルの分析がもう少し欲しかったのも本音だ。あと、92年にリリースされた安全地帯「あの頃へ」を『ミュージックステーション』で演奏した、伝説の映像も放送してほしかった。同じテレ朝なので、あの神演奏は間違いなく紹介されると期待していた。

 ちなみに、本日放送『関ジャム』は小田和正の特集。山下達郎→玉置浩二→小田和正とレジェンドを掘り下げる企画が続き、息つく暇もない。

レジェンドといえば、年内の引退を発表した吉田拓郎と、引退が噂される井上陽水の特集もいつか行ってほしい。今だからこその企画だと思うのだ。

 

寺西ジャジューカ(芸能・テレビウォッチャー)

1978年生まれ。得意分野は、芸能、音楽、格闘技、(昔の)プロレス系。『証言UWF』(宝島社)に執筆。

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最終更新:2022/07/31 20:00
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