映画『C.R.A.Z.Y.』同性愛嫌悪の問題を描く「一生に一本の映画」を作り上げた監督が遺した優しさとは
#映画 #ヒナタカ
7月29日より映画『C.R.A.Z.Y.』が公開されている。
本作を手がけたジャン=マルク・ヴァレ監督は『ダラス・バイヤーズクラブ』(2013)や『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』(2015)など、優れたドラマ作品を世に送り出し続けていたが、2021年12月に母国カナダで亡くなった。
その監督作の中でも『C.R.A.Z.Y.』の評価は高い。2005年制作の映画ながら、現在に至るまで米映画批評サイトRotten Tomatoesで100%の批評家支持率を記録し、トロント国際映画祭最優秀カナダ映画賞、イリス賞13部門受賞ほか、多くの映画祭で高評価を獲得。「カナダが生んだ映画史に残る名作」とも評された。
ヴァレ監督自身、生前に「一生に一本でいい、こんな映画を作りたい、作らなければと思う映画に出会うことがある。『C.R.A.Z.Y.』も、そんな映画の一本であると思いたい」という言葉を寄せている。それも納得の完成度を誇る、本作の魅力を記していこう。
有害な男らしさと同性愛嫌悪の問題
主人公のザックは、保守的な家庭の5人兄弟の4男として1960年に生まれ、音楽を愛する父、過保護気味の母、3人の兄と弟と共に過ごしていた。やがて時代は1970年代へと移り変わり、思春期に足を踏み入れたザックは、同性に惹かれていく自らのアイデンティティと、「男らしくあれ」と願う父親の価値観の板挟みとなってしまうのだった。
本作が描いている問題は、明確に「有害な男らしさ」や「同性愛嫌悪」だ。劇中では子どもの頃に女性の服を着たり、思春期となり同性との性的な関係を持った疑いのある主人公に対して、幾度となく侮蔑的な言葉が、それも父親から浴びせられる。
劇中の主な年代である1960年代~70代において、その父親の認識や態度はなんら特別なことではなく、むしろ「普通」だったのだろう。その父親の価値観に沿うように、まだ7歳の主人公が「神様、僕を軟弱にしないで」と願ったりする様や、思春期となり同性が好きになっても、頑なにそれを否定する過程は、観ていてとても胸が苦しくなる。
加えて残酷なのは、主人公はイエス・キリストと同じ12月25日が誕生日であり、それもあって「特別な子」と呼ばれていたことだ。父の求める「普通」になれないがために苦悩するのに、むしろ周りから「特別」が求められるという矛盾が、さらに彼を追い詰めているようにも思える。
なお、冒頭部分では「※本作品では差別的な表現が使用されていますが、 作品の時代背景や製作者などの意図を尊重し、 当該用語のニュアンスをそのまま訳出しています」とテロップで記されている。この通り、劇中では同性愛者や異性装をする者への蔑称が多用されているが、それも主人公の苦悩、いや絶望を描くためには必要なものだっただろう。
サイゾー人気記事ランキングすべて見る
イチオシ記事