安倍晋三元首相銃撃事件へのコメントを軒並み断った沢木耕太郎
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安倍晋三元首相の銃撃事件を受け、多くの編集者がインタビュー依頼をしたのに、軒並み断った作家がいる。
ノンフィクション作家・沢木耕太郎(74)である。
沢木氏といえば、ベストセラー『深夜特急』(新潮文庫)がバックパッカーのバイブルと呼ばれ、『一瞬の夏』『人の砂漠』(ともに同)といった作品群は、今なお読み継がれている。そして、作家として揺るぎない地位を築いたのが、大宅ノンフィクション賞受賞作の『テロルの決算』(文藝春秋)だった。
1978年刊行の同著が題材にとったのが、1960年10月に起きた社会党委員長浅沼稲次郎の暗殺事件。日比谷公会堂の討論会という大衆の面前で、17歳の右翼少年・山口二矢が、演説中の浅沼を短刀で刺し殺した。この二人が交錯するに至るまでを、緻密な取材によって描いた作品だ。
「安倍氏の事件を聞き、多くのライター、編集者はこの作品を思い浮かべたはず。衆人環視の中で、大物政治家が殺されるという点で酷似している。各雑誌は、沢木さんに寄稿してもらおうと、旧知の編集者を通じて依頼をかけましたが、ナシのつぶて。沢木さんはホイホイとインタビューに応じない事で知られるので、沢木さんらしい……。『テロルの決算』は事件後、20年近くたってから作品にしているので、まだ話す時期ではないという理由のようです」(週刊誌デスク)
事件後、とりわけ安倍派の面々は喪に服しているが、そこは政治家。跡目争いが熾烈を極めている。
「派閥事務総長の西村康稔・前経済再生相が、安倍氏が運ばれた病院にいち早くかけつけたり、弔問客の相手をするなど、派手に動きすぎ、周囲に白い目で見られています。総理の座を狙う下村博文・会長代理は、『下村派』にしたいでしょうが、人望がないためそれも難しい。安倍氏が買っていた萩生田光一・経済産業相を、閥務から外す動きもあるなど、派閥分裂も時間の問題と見られています」(政治部デスク)
では浅沼の事件後、政治状況はどうなったのか。
浅沼の死後、実権を握ったのは、構造改革派の江田三郎書記長。だが党内左派からの攻撃で委員長になることは叶わず、1977年には党を追われてしまう。
沢木氏は同著の序章で≪浅沼の死は、平和と幸福を告げる「暁の鐘」であるより、社会党というひとつの政党の「弔鐘」そのものではなかったか≫と記した。そして実際、日本社会党は1996年に解散、後を継いだ社会民主党は、国会議員数わずか2人という風前の灯火となっているのだ。
浅沼の事件から半世紀以上たって起きた安倍氏の死は、自民党の崩壊を暗示しているのかもしれない。
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