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『アメトーークSP』上島さんをしっぽり偲ぶなんて微塵もない異例の追悼番組

志村けんの追悼番組はなぜしめやかだったか

 そして後半戦は、肥後さんとジモンさんに焦点を当て、過去に『アメトーーク!』で放送された「肥後という男」「ジモンという男」のVTRやエピソードトークを交えながら、2人がいかに変わっていて面白い人間なのかを分析し、そして今まで使っていたギャグに関して誰が継承していくのかを話し合っていた。さらには「2人バージョンの熱々おでん」と「新熱湯風呂」を披露し、これからのダチョウ倶楽部の広がりを見せた。

 この番組を見ながらすごいと感じたのは、ずっと「笑っていられた」ことだ。

 ドリフターズの志村けんさんが亡くなったとき、志村さんに関する番組のほとんどは「追悼」という言葉がついており、文字通り志村さんの死を「悼む」というものばかりだった。ドリフターズ関連での追悼番組の場合、メンバーの加藤茶さん、仲本工事さん、高木ブーさんが過去の思い出を語り、過去のコント映像を見て、志村さんを悼んだ。ドリフに関係なく志村さん個人でやっていた番組でも同じように過去のVTRを見たり、出演者の志村さんへ対する思い、志村さんの優しさなどに触れ、志村さんの死を悼み偲んだ。

 それが今回のダチョウ倶楽部さんの場合「悼む」「弔う」「偲ぶ」なんて言葉は微塵も出て来ない。上島さんの凄さや面白さには触れるが、上島さんを語ろうではなく、番組の軸はあくまでも今後のダチョウ倶楽部をどうしていくのか? というもので、誰も表立って悲しむものはいないのだ。

 もちろん志村さんと上島さんのキャラクター性の違いもあるが、僕が見た『ダチョウ倶楽部を考えようSP』は、出演者全員がいつものようにお客さんを笑わせる、いつものバラエティ番組だった。

 僕が個人的に感じた志村さんと上島さんの、いや志村さんとダチョウ倶楽部さんの大きな違いは「終わったか」「続いているか」の差ではないだろうか。

 志村けんは亡くなったことにより、そこで終わってしまった。我々の記憶や映像としては残っているがこれから増えることはない。だからこそ悲しめたのだ。

 しかしダチョウ倶楽部さんは1人いなくなってしまったが、まだまだ続く。お笑い芸人として悲しみに包まれるのはマイナスでしかない。上島さんの分も、肥後さんとジモンさんが人を笑わせていかなければいけないのだ。それがお笑い芸人の宿命なのだ。

 そんな今回の『アメトーーーーク! ゴールデン2時間SP』は出演者、スタッフが一丸となり、新たなダチョウ倶楽部を後押しした番組だったのではないだろうか。

 芸歴37年にして新たなスタートを切るのは、どんな気持ちなのだろうか。僕には想像もつかないが、これだけは言える。「新生・ダチョウ倶楽部」も間違いなく面白い。だって初めての番組でこんなに面白かったんだから……。

檜山 豊(元お笑いコンビ・ホームチーム)

1996年お笑いコンビ「ホーム・チーム」を結成。NHK『爆笑オンエアバトル』には、ゴールドバトラーに認定された。 また、役者として『人にやさしく』(フジテレビ系)や映画『雨あがる』などに出演。2010年にコンビを解散しその後、 演劇集団「チームギンクラ」を結成。現在は舞台の脚本や番組の企画などのほか、お笑い芸人のネタ見せなども行っている。 また、企業向けセミナーで講師なども務めている。

Twitter:@@hiyama_yutaka

【劇団チーム・ギンクラ】

ひやまゆたか

最終更新:2022/07/21 07:00
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