『竜とそばかすの姫』現実離れし批判浴びた過去作と違い細田作品最大ヒット
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細田監督のファンタジーは現実離れ? 批判の声が…
「竜」が有象無象の人の悪意によって傷つけられるのを目の当たりにしたすずは「竜」に想いを寄せる。すずがまだ幼い頃、母親はキャンプ場で川に溺れている子供を助けようとし、大人たちが誰も手を出せないでいる中、ひとりだけ川に飛び込み子供を助けて自分は川に流され死んでしまう。ネットにはすずの母親の無謀さをあざ笑う書き込みが溢れ、すずは心を閉ざしてしまうのだった。
細田守は『時をかける少女』や第二弾の『サマーウォーズ』では理想の青春、理想の恋愛というファンタジーを物語のテーマにしてきたが、『おおかみこどもの雨と雪』や『未来のミライ』ではシングルマザーの子育てや幼児の成長といった、現実世界に通じるテーマをアニメにおけるファンタジーとして描くようになる。
そうなるとファンタジーとして処理しきれない問題が生じてくる。「おおかみおとこ」とのハーフを産んでしまった母親は誰にも頼ろうとせず、普通の子供なら受けられる福祉を拒絶するので、周囲からは虐待を疑われてしまう。『未来のミライ』はわがままいっぱいに育った子供の面倒は大変だというテーマを掲げたが、改築に改築を重ねた自宅には急な階段があり子供には危険すぎるし、これまた虐待の一種なんではないかと世間の批判を集めた。
現実世界とアニメの物語をリンクすればするほど「現実はそうじゃない」と観客が齟齬を感じてしまうという、ジレンマに細田は陥る。
では『竜とそばかすの姫』はどうだったかというと、ネットの世界に自分ではないもうひとりの自分をつくり、別人格であるようにふるまい、悪意をもって決めつけ、口汚く他人を罵ってしまうというようなことは誰にでもあるかもしれない。それはネット世界というもののある意味本質(それがすべてではないが)であるかもしれない。
本作を見た多くの人間が自分の中にもある部分を見てしまっただろう。『おおかみこどもの雨と雪』や『未来のミライ』では「理解できなかった(したくない)」ことが『竜とそばかすの姫』では「理解できる」演出になったことが影響したのだろう。本作は興行収入66億という、細田作品史上最大のヒットを記録したのだ。
そして悪意の溢れる世界に細田は希望も残した。すずは実の親から虐待される兄弟を救おうとするのだが、兄弟には誰もが救いの言葉を口にしながら何もしてくれなかったことに絶望し、すずの言葉も拒絶する。すずは信じてもらうためにベル、自分自身の正体を自らアンベイルして、「顔の見えない世界の誰か」ではなく「素顔をさらした自分自身とつながっている」ことを訴える。それはたったひとりで子供を助けようと決断した母親の行動をなぞることだ。
10年ごとにネット世界の現実を描いてきた細田守はまた次の10年後にネット世界を描くかもしれない。その時にネットは、社会はどのような変革をしているだろうか。少なくとも良い方向に変わって欲しいなと思う。
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