トップページへ
日刊サイゾー|エンタメ・お笑い・ドラマ・社会の最新ニュース
  • facebook
  • x
  • feed
日刊サイゾー トップ > エンタメ > ドラマ  > 「原作と違うからダメ」を一蹴
稲田豊史の「さよならシネマ 〜この映画のココだけ言いたい〜」

『キャメラを止めるな!』は「原作と違うからダメ」を一蹴する

『100日間生きたワニ』問題

[入稿済]『キャメラを止めるな!』は「原作と違うからダメ」を一蹴するの画像3
© 2021 – GETAWAY FILMS – LA CLASSE AMERICAINE – SK GLOBAL ENTERTAINMENT – FRANCE 2 CINÉMA – GAGA CORPORATION

 これを読んで思い出したことがある。上田慎一郎とふくだみゆきが共同監督をつとめた『100日間生きたワニ』(21)だ。同作は、2019年から20年にかけて連載され大きな話題となった4コマ漫画『100日後に死ぬワニ』(きくちゆうき・作)を原作とする63分の中編アニメだが、『100日後に死ぬワニ』完結時の早急な商業展開に対する世間からの批判が影響し、公開前から中傷が横行した。

 作品を観てもいないネット民からの攻撃や荒らし行為は論外として、本作への批判の中で気になったものがあった。「後半のオリジナル展開が蛇足。原作通りでいいのに」の類いである。

 原作である『100日後に死ぬワニ』は、タイトル通り100日後に事故で亡くなってしまうワニの穏やかで愛おしい日常を、日めくりカウントダウン形式で描く内容だった。ゆえにワニの死をもって物語は終わる。

[入稿済]『キャメラを止めるな!』は「原作と違うからダメ」を一蹴するの画像4
© 2021 – GETAWAY FILMS – LA CLASSE AMERICAINE – SK GLOBAL ENTERTAINMENT – FRANCE 2 CINÉMA – GAGA CORPORATION

 一方、映画『100日間生きたワニ』でそれが描かれるのは全体の半分強。ワニが亡くなって以降は、ワニの友人たちが「残された者」としてどう前に踏み出していくか、そのプロセスが映画版オリジナルキャラクターと共に描かれる。

 オリジナル部分は決して尺伸ばしのために取ってつけた要素ではない。「ワニの不在」を丹念に描くことによって、むしろワニが生きていたことの意味を、輝きを、尊さを浮き彫りにした。蛇足どころか、原作の本質を再確認させる役割を担うパートだった。

 すなわち、『100日間生きたワニ』前半の原作部分は『カメ止め』第一部の劇中劇に、後半のオリジナル部分は『カメ止め』の第二部と第三部、つまり人物ドラマと劇中劇の裏側種明かしパートに対応する。前段の意味を後段で解き明かす、という意味において。

 映画の感想は様々あっていい。駄作という評価も含めて。ただ、「原作と違うからダメ」で思考を停止させるのは、創作という行為をあまりにも舐めすぎてはいないか。バカのひとつ覚えのごとき「原作通りに作れ」は、『キャメ止め』でプロデューサーのマツダがレミーに迫った無茶要求である「登場人物の名前はすべて日本人の名前にしろ」にも近い。滑稽とも言える幼稚さだ。

123
ページ上部へ戻る

配給映画