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稲田豊史の「さよならシネマ 〜この映画のココだけ言いたい〜」

『キャメラを止めるな!』は「原作と違うからダメ」を一蹴する

話題作のリメイクに孕む危険

[入稿済]『キャメラを止めるな!』は「原作と違うからダメ」を一蹴するの画像1
© 2021 – GETAWAY FILMS – LA CLASSE AMERICAINE – SK GLOBAL ENTERTAINMENT – FRANCE 2 CINÉMA – GAGA CORPORATION

 キャスト無名の超低予算映画ながら2018年に大ヒットを記録した『カメラを止めるな!』(監督:上田慎一郎)。そのフランス版リメイクだ。一言で言えば、まったくもって申し分ない出来である。オリジナル版の三部構成【劇中劇→人物ドラマ→劇中劇の裏側種明かし】はそのままに、フランス版ならではの画面の雰囲気、キャストたちの佇まい、いくつかの設定の変更はちょうど良い塩梅の「味変」具合い。音楽にたとえるなら、原曲の心地良い旋律を損ねない程度の絶妙なホーンアレンジやストリングスアレンジが効いている、という印象だ。

 設定の変更を「あの素晴らしいオリジナルと違うじゃないか!」と目くじらを立てるのか、「オリジナルが備えるカタルシスの本質は損なわれていないのだから、いいじゃないか」とするかは、観客次第。筆者は後者だった。

 ある作品をリメイクする場合に、どの程度オリジナルに忠実に作るべきか。これは長らく映画界で論議されてきた。映画に限らず、小説や漫画の映像化にも常について回る問題だ。特に、熱狂的なファンのついた作品ほど、ファンはリメイクや映像化に「うるさい」。

 オリジナルの『カメ止め』はブロックバスター的・戦略的に市場投入された作品ではない。作品を気に入った観客が圧倒的な熱量でもって口コミで評判を拡散する一方、監督やキャストがサプライズ舞台挨拶をするなどしてムーブメントを作り上げた、草の根的なヒット作だ。

 それだけに、リメイクの製作にはある種の危険も孕む。オリジナルへの思い入れが強すぎるあまり、少しでも自分の意に沿わないアレンジに我慢がならないファンもいるからだ。それが“公式”であっても関係ない。

 そんな映画ファンあるあるを意識してか、『キャメラを止めるな!』にはそれを逆手に取る皮肉の効いた設定が追加されている。『キャメ止め』物語内の劇中劇は、『カメ止め』内の劇中劇『ONE CUT OF THE DEAD』のリメイク、という設定なのだ。

日仏の観客は何が違うのか

[入稿済]『キャメラを止めるな!』は「原作と違うからダメ」を一蹴するの画像2
© 2021 – GETAWAY FILMS – LA CLASSE AMERICAINE – SK GLOBAL ENTERTAINMENT – FRANCE 2 CINÉMA – GAGA CORPORATION

 あらすじはこんな感じだ。主人公のフランス人監督レミー(ロマン・デュリス)は、日本で大ヒットした映画『ONE CUT OF THE DEAD』のリメイクを、カメラ1台・30分間ワンカットで撮影・生中継する仕事を受ける。

 レミーは「元の脚本は日本的すぎる」という理由で脚本を変更しようとするが、日本人プロデューサーのマツダ(竹原芳子/『カメラを止めるな!』にもプロデューサー役で出演)はそれを許さない。レミーが変更した脚本に「細かいところまで変えすぎていて分かりにくい」とクレームを入れる。リメイクについてまわる脚本改変問題を、作品の「中」で真正面から取り扱っている。メタで批評的な展開だ。

 マツダがオリジナルを尊重したいという気持ちはわからなくもない。一方で、日本人ではなくフランス人の観客向けに作るのだから、アレンジは当然必要だというレミーの言い分も理解できよう。レミーの気持ちはそのまま、本作の監督ミシェル・アザナヴィシウス――アカデミー作品賞はじめ5部門も受賞した『アーティスト』の監督――の気持ちに重なっている。

 アザナヴィシウス監督はマスコミ用のプレス資料でこう語っている。「日本とフランスの笑いの違いがあらわになった時、(創作上の)壁にぶつかった」。そして「日本文化の驚く点は、多くのことを敢えて言葉にしないところ」である一方、「フランスでは、登場人物がやたらしゃべる。変化した状況を説明せずに放置することに、フラストレーションを感じてしまう国民」だと分析する。

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